あ~、嫌だ!嫌だ!こんな映画!
間違いなく今年を代表する話題作となるであろう『ミッドサマー』であるが、その悪評?高きクチコミから見る気皆無だったのだが、試しに観てみた。白夜と白いドレス、色鮮やかな花の冠飾りなどビジュアルは美しいが、実情はエグい文化が根付いていたと。残酷でご都合主義な倫理、不穏な空気感のもと2時間30分、ひたすら耐えるだけの苦行でしか無かった。
自分の倫理観に背く描写に不快指数MAX
結論から言えば、大騒ぎしすぎだ。たいしたことない。
確かにグロテスクな描写が急に出てくるが、そこからが長く、また退屈な内容なのだが、ネチネチと精神を蝕んでいく手法をとってるだけで、特段怖いわけでもなんでもない。自分の倫理観にない胸糞悪さが続くだけ。
部屋が妙に汚いとか、親が過干渉だとか、自分にない価値観を持った知人宅に行ってしまった時の居心地の悪さ。趣味でも政治でも恋愛観でも何でもいいから意見が真逆すぎて話が通じない相手と口論になった時のイライラ感。そういうストレスに近い。
アリ・アスター監督の変質性は理解できない
アリ・アスター監督と言えば、自慰行為を覚えた少年がいて、それを母親が責めたのだが、父親が「年頃の男の子は皆そうだ」と諭し、一家団欒になったかと思えば、その自慰のオカズが父親の写真だったことで家族に亀裂が生じていくという短編を撮る程の変質者である。我々の常識で語れるほどの良識的な人間じゃ無い。
多様性とは?ミッドサマーも受け入れなければならない?
他者の文化を尊重することこそリベラルで先進的と思うし、理想的のはずなのだが、この映画に共感など出来やしない。いや、してはいけない。良識に背くからだ。では、その良識は誰が設定したのか? 結局は自分たちの国やコミュニティの価値観の押しつけだと言われてしまうのだろうか? いやいや違う、高齢を理由に崖から飛び降りるのも、近親相姦も、ドラッグも、熊の内臓取り出して着させて燃やすのも、結局は人の生命を脅かす危険なものを認めてはいけないと私はしたい。この『ミッドサマー』を受け入れることは多様性でも何でも無い。
ディカプリオ主演の『ザ・ビーチ』も同じような設定があった
過去にディカプリオ主演の『ザ・ビーチ』ってスリラーがあったけど、あれも高齢で老弱した人間は目につかぬ場所に置いていく文化が根付いてた。くっだらない! そういう人生の節目にスポットを当てるのが映画だと思うから。要は、この村の価値観も都合が良いだけ。カルトなんて所詮は勝手で排他的なものなのだろう。
世界は異様な儀礼や行事で溢れかえっている・・・
現世界にはアフリカでは男性器や女性器を切り付ける成人儀礼の風習がある民族もいる。もっと身近の例は、大人が鬼の格好で子供を泣かす風習だってある。他から見れば、どちらも異様である。しかし、その周囲の人間が当たり前だという顔をしていることが最も異様で違和感で、時に恐ろしくなる。この感覚をアリ・アスターは見事に活かした。変質者らしい目の付け所だけは「軽蔑」という意味合いで拍手したい。
自分は先祖の木に立ちションベンをした男が自分の価値観にに近くて、あの存在だけは救いだった(笑)
(文・ROCKinNET.com編集部)
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