初めて映画で恐怖を感じた。
ホラー映画の娯楽テイストの恐怖ではない。人間のもっと神髄に迫った奥深い部分への恐怖だ。
2008年、長引くイラク戦争、リーマンショックにより経済が停滞していた頃に『ダーク・ナイト』が公開された。閉塞的で絶望に満ちた希代の大傑作は時代の空気感に合っていた。それから11年、差別主義者が世界一の大国を牛耳り、米中貿易摩擦が起こり、香港では体制と民衆が激しく衝突、再び世界は混沌としている。そんな中、また”彼”が現れた。
映画史における無二の悪役がナゼ極悪な道を選んだかの過程を、格差や貧困など社会の理不尽さや歪みといったリアリティの中で描き切った大傑作だった。今まで見てきた、単なる悪役”ジョーカー”のイメージを覆す、その誕生秘話は意外にも切ない物語で、DC映画として娯楽作の域を超えた。社会的弱者の拠り所がない現代社会の闇を浮き彫りにさせた社会派ドラマとして、時代に問題提起する濃厚な内容だけに、オスカー受賞も夢では無いかも知れない。
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凶悪犯罪が起こった時、時に社会に責任転嫁をする場合があるが、個人的には犯罪者自身の問題と目を背けないようにしている。道を外さずに生きる人間が圧倒的に多いからだ。けど、セーフティネットも機能せず、社会の理不尽がまかり通り、勤勉な人間が陥れられる社会であってはならない。アーサーが純粋な芸人志向の青年だったように・・・・・・。精神障害の理解の遅れや差別、生活保護が槍玉に挙げられることがあるが、救済なき行先は狂気だということを、この映画は強烈なインパクトと共に提示した。
虐げられた者の視点で描かれた世界は冷酷以外の何者でも無かった。自分の出生や置かれた環境にもがき苦しむ中で、彼は不運が重なり道を外してしまう。しかし、外れれば外れるだけ彼は、まるで呪縛が解かれたかのように活き活きとしていく。その残虐描写と、背景に流れるチャップリンの「smile」や、ゲス・フーの「Laughing」などの往年の名曲とのギャップが何とも言えないトラウマを醸し出していた。
同時に、ゴッサム・シティは、彼への賛同者で溢れかえった。強奪と破壊が行われ、上流階級に向けた攻撃が激化していった。ジョーカーが覚醒した時、秩序は完全に崩壊されていた。
分かっていながら目を背けていた社会の歪みが暴発した結果だ。その光景があまりに恐ろしかった。デ・ニーロ扮する人気コメディアンが、ジョーカーの身勝手な弁明を、「殺人を肯定する言い訳に過ぎない」と、糾弾する発言こそが社会通念であり、この映画の良心に思えたが、それすらいとも簡単に破壊してしまう狂気。
彼だけの問題だったのか? 社会構造の問題が彼を生んだのか?
問題は根深い。絶望のまま映画は幕を閉じる。しかし、「それは許されない」と、いつか彼には正義の鉄槌が下される。暴動の際に殺害されたウェイン市長候補の子である少年が立ち尽くす姿に希望を見い出したくなる思いだ。彼が何者か言う必要も無い。
豪邸の敷地内の少年の口角を無理に上げる、柵の外のジョーカー。何を言わんとしてるか分かる人には分かる。#ジョーカー #ジョーカー衝撃 pic.twitter.com/dZTiQhujZy
— ROCKinNET.com (@ROCKinNETcom) October 4, 2019
(文・ROCKinNET.com編集部)
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