アメリカの歴史は、人種差別の歴史でもある。その中において、
ハリウッドは常に同テーマの映画を絶え間なく作り続けている。シドニー・ポワティエが今以上に差別が横行している60年代、映画『夜の大捜査線』の中で白人の頬を平手打ちするシーンは衝撃的であった。暴力を賛美するわけでは決してなく、一方的な黒人への差別や暴力が当たり前となっていた、周囲も無関心だったことへの反論がセンセーショナルに表現されたものと捉えている。
彼の意志を継ぐように、近年でも『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』『ムーンライト』『ドリーム』『ブラック・クランズマン』と数々の同テーマを取り上げた名作が誕生するも、そこから差別は何も変わらないどころか、トランプ政権下で尚更に人種差別意識が表面化したように思える。現に、白人警官による黒人への暴力が問題視されているではないか。
この映画の時代設定も1988年と、そんなに昔ではないことに驚く。こんな最近の出来事なのに、検察側が理不尽な捜査で無実の黒人男性を犯人に仕立て上げ、裁判所も死刑判決をしてしまうという考えられない、司法制度には恐怖すら覚える。
「潔白の貧しき者が罪に問われ、疑わしき裕福なものが優遇される」という台詞が何よりも象徴的であった。黒人の罪人はすべて死刑という理不尽が30年前に起こっていたリアル感。この『黒い司法 0%からの奇跡』は、権力が腐敗していたアメリカの愚かしい歴史を焙り出す。その意味でも本作の存在意義は大きい。
『ブラックパンサー』のマイケル・B・ジョーダンのように未熟ながらも己の信念を貫かんとする若者の好演もいい。それに仕える秘書が『キャプテン・マーベル』のブリー・ラーソンと何かとMCUを彷彿とさせるキャスティングだったが、彼らがSFではなく現実問題に立ち向かう様も格好良かった。
『ブラッククランズマン』のように差別は人間の憎悪から生み出されていることを見ると、本当に恐ろしく、同年のアカデミー賞作品賞に輝いた白人だけで製作された『グリーンブック』の当事者視点ではない生温さでは何も解決に至らないことを思い知った以上、尚更に、この映画で起こっていることの絶望感、理不尽さに言葉を失う。
それは、黒人だからというだけで、何かあると疑われる価値観は今のアメリカにも根付いている。この手の映画が過去の事件の記録でしかなくなる日が来ることを願いたい。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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