多様性が叫ばれるハリウッドでこのような作品が賞レースで選ばれるのは必然なことに思えるが、少しオスカー的かと問われれば疑問は残る。ただ、台詞の半数が英語でないことで作品賞から漏れたことが議論になるなど、ハリウッドも変革期にあるんだなと感じる。
アメリカの移民が生きる困難さを、どんなに彼らが必死かを描いた、ある意味、移民大国アメリカにおいてはアメリカらしい側面を描いた作品だと感じた。喧嘩ばかりの韓国人夫婦は、ヒヨコの雄雌の選別作業が仕事で、決して裕福な生活を送っていない。移民である、彼らに真っ当な仕事は用意されていないのが分かる。そんな過酷な生活において気になるのは、家族にスポットライトが当たっている映画にも関わらず、決して家族的な血の通った会話の少なさだ。唯一、祖母が孫息子を思いやる会話だけが救いだ。
夫は農業に活路を見出す。(『ウォーキング・デッド』でお馴染みのスティーブンがまた良い感じである!)アメリカに移住してくる韓国人向けに韓国野菜を売りつけるために、農業をはじめるのだ。しかし、地下水が枯渇したり、約束していた都会の仕入れ先から理不尽に出荷直前に断られたりと、何もかも上手くいかない。ヒヨコの選別では雄は卵も産めない価値のないものとされ、その焼却処分された煙が無表情に選別所の煙突から出ている様が映される。まるで、農業がうまくいかない夫を揶揄するかのように。こういうメタファーの巧みさが優れているなと感じた。流石はA24だと思う。
今までのアメリカ映画の多くは田舎から都会に目指し、人生の一発逆転を目指すサクセス・ストーリーがお決まりだった。しかし、この映画はそれとは真逆を行く。これが何を示すのかが、この映画のキーでもある。
夫婦の亀裂が深まり離婚寸前の状態ながらも、心臓に問題を抱える少年の病状が少し回復した際に、「水が良いからだ、今の生活を続けるように」と医者から言われる。生活のことを考えれば、都会に出て、仕事を探すのが正解だ。しかし、それを皮肉るような描写。田舎に留まるに逃げようのない選択肢を与える。
かつて、『万引き家族』『パラサイト 半地下の家族』『ジョーカー』など格差を扱った作品が軒並み評価された頃に、拝金思想、資本主義の限界と皮肉などと言ったことがある。この映画が示すのも、そういったことに思える。セックス・アンド・ザ・シティーのような物欲と性欲に支配された価値観とは真逆の位置(笑)。心の安静を求める姿勢は、過剰になりつつある欲欲しさの箸休めには心地良い。
ミナリとは韓国語で「セリ」のことらしい。日本人にもお馴染みの七草粥のセリである。そのセリを孫たちには蛇が出るから立ち入り禁止にされている川で、祖母が苗を撒き、栽培する時に、孫息子に「ミナリは、雑草のように強くて、どこでも育って、豊かな人も貧しい人も食べられて、薬にもなる」と言ったのが印象的だった。移民はミナリのように強く生きていかなければならない。一見、励ましてるようで、実は過酷な現実も内包している、この台詞に映画の全てが集約されているようだ。
終盤、夫の農業の行く末を左右する一大事が起きるが、不思議なことに、それを得てから初めて家族的な姿が見られた。人間生きる上で何を大事にすべきなのか、コロナ禍で家族の時間が増えた今だからこそ、考える人も増えただろうし、今後の働き方改革も手伝って、いろいろと価値観も変ってくるんだろうなと、この映画を見てて感じた。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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