桑田佳祐とは日米共同体だと思っている。英語混じりの歌詞、早口な歌い回しは、サザンがデビューした70年代当時、演歌・フォーク・歌謡曲がメインストリームの日本音楽界においてアメリカナイズされたスタイルは革新的であった。その後、桑田は商業的な成功を収め、後のJ-POPの礎を築き裾野を広げた、その功労者に違いないが、まさに50年代初頭に日本に急速に流れ込んだ欧米カルチャーの波に感化されているのは言うまでも無い。ビートルズも、ウッドストックも、愛と平和が大前提だった。ずっと、それが揺るがない正論で、継承されてきたはずなのに、ロシアによるウクライナ侵攻や、それに伴う安全保障の改憲議論、コロナ禍という閉塞感もあり、出口の見えない苦しみに苛まれているかのようだ。音楽で心を癒やすなどが戯言と化した昨今において、それでも音を奏でることで時代の空気を変えることを信じる「親父」が集結したのが、「時代遅れのRock’n Roll Band」だ。世良公則、佐野元春、Char、野口五郎と、桑田佳祐と同じ1955年~56年の「同級生」が集結、「ださいロックンロールバンド」と歌う彼らの姿は、それとは真逆で、我々は、現代の理不尽や平和に対する自身の無力さに忸怩たる思いと、60代で時代に媚びずにギターを掻き鳴らし続けながら年齢を重ねることの憧れという両極な思いを、この曲に馳せる。歌詞もメロディも王道的だ。青臭さすら感じる。けど、その野暮ったさすら格好良い。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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