異物との性描写を逃げないからこそ究極の愛が描けた
甘美で倒錯的な独自のデルトロ監督ワールドのひとつの到達点と言えるだろう。「クセが凄いんじゃ~」な同監督作なので、見る人を選ぶのは言うまでもなく、本作でもデルトロ節健在!
純粋なboy meets girlで終わらない。主人公の口が利けない女性は毎日朝起きて入浴して、マスターベーションするのが日課だったりと性描写に遠慮が無い。寓話にしてはドギツイと思われるだろうが、これこそ彼の作品の味。一筋縄ではいかない。半漁人版の『美女と野獣』かと思ったが、綺麗事が一切なかった。どうも、本国版では、半漁人と主人公女性のSEXシーンがあったらしいが日本公開版はカットされていたらしい。どんなにグロイ、プレーだったのか見たかった。愛とは、結局は、そういうことなんだから。スピルバーグ作品なんかは、いつもSEXで逃げるからこそ、大衆娯楽として成立してきたが、個人的には「そんな、馬鹿な」と思えるものの、異質との性交というのは、突き詰めるところの究極の愛なんだなと思う。だからこそ、この作品ではカットすべきではない。
多様性を描くことで反トランプの姿勢は崩さない
口が利けないという障害を持った主人公、同居人のゲイの老人、黒人の同僚など、マイノリティを描いているように、多様性の受容をテーマにすることが、もはや、反トランプ政権の表明と、今の映画人の制作意欲が高揚する象徴的テーマであることを改めて感じさせる作品でもあった。これって、あと三年後(トランプ大統領の再選は流石にないと思っているが)に客観的に見れば、時代の流行と片付けることが出来るのだろうか。
脚本的には『スリー・ビルボード』の方が格上か?
口が利けないがゆえに孤独を感じる女性が、会話を要しないで成り立つコミュニケーションの出来る対象として、半漁人に惹かれるも、それだけで惹かれ何もかも投げ捨てて、彼に夢中~❤って、ホストにハマるような、だいぶ痛い女性だなと感じたが(半漁人なので貢ぐとしても卵で済むからいいだろうが)。その対比として、口も不自由なく効ける周囲の男性たちが、しっかりしたコミュニケーションが取れていないことが何とも皮肉である。何を以て「普通」と言えるのか。暴力的で利己主義な白人男性たちと、純粋無垢な半漁人を見比べると、これもまた監督の強烈な皮肉を感じる。
舞台設定は、冷戦下のアメリカである。しかし、現代も同様に不寛容な時代であり、同じようなギスギスした空気感の中で、これだけ純真な恋愛を描き切ったデルトロ監督の語り口に唸るも、脚本としては言うほど物珍しいストーリーでもない。普遍的な、どこにでもありそうな恋愛物語だ。そういう点においては、話の展開が先読みできない『スリー・ビルボード』の方が、一歩上手だったように思えるが、果たしてオスカーは、どういう結論を下すか?
アカデミー賞獲るに相応しいか否か?(獲るだろうけど)
この映画の優れている点は、明確に言えば、作り手の丁寧な仕事っぷりだろう。セットから、音楽から、半漁人のメイクから、細部まで拘った職人技が光る、技術職人の映画だと思う。だから、技術スタッフのオスカー受賞は多いだろう。しかし、いくら多様性を描こうとも、この映画が「時代を象徴し代表させるような作品か?」と言われれば、些か疑問が残る部分ではある。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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