アメリカのみならず世界各国で『スター・ウォーズ』並みにヒットを記録している、マーベル最新作『ブラック・パンサー』。遂に今週の木曜日から日本でも公開される。ワクワク感が半端ないので、いてもたってもいられず、今回は、この映画が何故ここまでヒットしたのか?について考察していきたい。
黒人俳優ばかりが主要人物に起用された超大作
まず、この映画の最大の特徴は、主人公のチャドウィック・ボーズマン(H・フォード共演の『42~世界を変えた男~』でアメリカで黒人初のメジャーリーガーを演じた)はじめ、主要キャラが全員黒人俳優であるということだ。今まで、黒人俳優が主にキャスティングされる映画といえば、反差別を謳った社会派ドラマや、コメディばかりだったが、こういったヒーローものの超大作では珍しいことだ。普遍的なヒロイズムを演じるのには、もはや人種を意識する時代ではないという潜在意識を植え付ける映画と位置付けると、重要な意味合いを持つ作品には間違いない。
黒人俳優という表現も、もはや時代錯誤であることも認知している。アフリカ系アメリカ人と記すべきではあるが、ここでは差別的意味合いは当然ないとし、このような表現で統一している。
オークランドという舞台設定の意味と「ブラックパンサー党」の歴史
特に、冒頭に出てくるアメリカの街がカリフォルニア州オークランドなのも、偶然ではない。オークランドは、1960年代に、反人種差別、革命的社会主義などをうたう「ブラックパンサー党」が結成された場所でもある。このブラックパンサー党は、武装によって黒人を差別から守ろうとした組織であり、当時のアメリカの体制から危険視されるようになり、主要党員はFBIや警察などから弾圧を受け、次第に弱体化していく。(『大統領の執事の涙』(2014)では主人公も運動に参加するが、あまりに暴力的で脱退する様が描かれていた)「非暴力」を掲げるキング牧師などの表向きな反差別運動とは異なり、マルコムX殺害から始まる、このブラックパンサー党の活動は、知られざる裏歴史とも言えよう。
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60年代の人種差別闘争下における共通意識
勘違いしてはいけないが、この政党と本作は何の関係性も無い。ただ、原作のコミックも、同時代の60年代に発表されたものであり、どこか時代の空気感によって、無意識的な共有思想は反映されているとは思う。ただ、まだ差別が横行していた時代に刊行されたコミックとしては、いかに画期的であったかということは垣間見れよう。それが、このような大作映画として世に放たれ、初週末の興行収入5位を記録するというのは隔世的で感慨深い。この画期的な試みこそが、単なるマーベル作品という認識を超えた、2018年の世界の人種差別に対する違和感のメタファーとして、ヒットと言う形に表れたのではないか。
トランプ政権と保守化が進む世界にうごめく違和感
このように、本作が世界的ヒットを記録したことの意味・・・・・・個人的には、トランプ政権下の反動と捉えている。大統領の資質や存在を問い、賛否の意見でアメリカが分裂しているまま、トランプ政権は発足から1年を過ぎた。依然として、トランプ大統領の差別的な態度は変わらず、白人警官による非武装な黒人への暴力が多発するなど、映画『デトロイト』鑑賞レビューでも述べたが、ニクソン政権時の人種間の亀裂同様のことが、50年後の現代でも起こっている。もちろん、それを黙認するほど、アメリカは腐ってはいない。人種差別に関しては、今まで以上に、人々の意識下に表れているのは確かである。#metoo運動や、LGBT結婚合法化など、大きく社会がうごめいている2018年に本作が公開され、ヒットを記録したことの意味は、保守化の進む世界各国の中で起きた、こうした大きな時流の変化の中で起きたリベラルな摩擦と捉えている。ここで意味するリベラルとは日本で捉えられいる某野党の指針とかではなく、多様性の甘受にニュアンスは近い。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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