カンヌ入りした是枝監督の現地インタビュー「日本では共同体文化・家族が崩壊しており、多様性を受け入れるほど社会が成熟していない」と指摘。「残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない」と発言。
前者は正に是枝監督が根底に掲げている一貫したテーマであり、『そして父になる』『万引き家族』でも描かれていた、血縁にあろうとも家族の誰かが不幸になってしまう場合は果たして絶対的な共同体として括るのが善か否か? という社会的な一般常識を覆す、現代の日本が抱える闇に一石投じるような画期的な意見だった。後者に関しては、ナショナリズムが横行しているのは日本だけでないにせよ当てはまることは否定しないが、敗戦後、謝罪は行っており、また、延々と賠償をし続けている事実がある以上、改めて国際的な映画賞を取った場で発言するのは如何かなと思ったりもする。
[PR]
ただ、是枝監督の素晴らしいと思えるところは、政府との距離感の保ち方だ。
自身のブログで、受賞を祝いたいとする団体からの申し出を全て断っていると明記し、「映画がかつて、国益や国策と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大袈裟なようですがこのような平時においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」とした。
“映画がかつて、国益や国策と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省”とは、ナチスが国民から絶大な支持を集めた際に、ヒトラーが映画をしよう利用した事実を指しているのかも知れない。現在の日本がそうなるとは思えないし、大袈裟な例だと思うけど。映画というのは五感で感じ取る分、影響力が強い。仮にその影響力の強さで偏った国策や扇動が引き起こされたらと思うと怖い。
特に今はネットがそういう側面があるかと思う。心理学的には、相手から伝わって来る受動的な情報は信じにくいものであるが、自分から能動的に得た情報は信じやすいとされる。これはテレビとネットに当てはまる。テレビは受動的、ネットは能動的。だから、ネットの情報は信じやすく、同時に扇動しやすい。
現に、『万引き家族』は保守と自称する人たちに、“万引き”というワードだけで誤解された批判が拡散された。このように、表現者が意図し事実とは異なる湾曲した解釈で表現が広まることだってある。
自分の表現が権威に乗っ取られない意思もあるのかも知れない。政府と距離を保った是枝監督の映画作家としての態度に感銘を受けた。このような表現者が日本にいて、世界に認められたことは本当に救いである。
(文・ROCKinNET.com編集部)
※無断転載・再交付は固く禁ずる。引用の際はURLとサイト名の記述必須。
[PR]
最新情報をお届けします
Twitter でROCKinNET.comをフォローしよう!
Follow @ROCKinNETcom
この記事へのコメントはありません。