トム・ハンクス主演でイーストウッド御大が飛行事故から人命を救った英雄機長を題材に映画を撮る<いかにも>な作品。要は、保守層の多いオスカー辺りが好き好んで仕方のない、隙の無い感動系ヒューマンドラマ。
具体的に、何を賞賛すべきか。それは、どうしても御大の年齢の話になってしまうのが実に野暮ったらしいと分かってはいるのだけれども、御年86歳で監督作を作り上げてる点もそうだが、その作品には必ず観ている者の<意見>や<正義感>や<価値観>を揺さぶり試すところにある。『ミリオンダラー・ベイベー』で世界に衝撃を与えた御大は、映画の中で明確な回答をせずに(傲慢に正義感を押し付けずに)、観客に結末の<良し悪しの意見>を求めた。
世間では英雄視されるトム・ハンクス演じる機長が、乗客の人命を危機に晒したのではないかと言う容疑がかけらる。彼の取った行動は結果論としては英雄と称するに相応しかったが、これが逆の結果であったら世紀の大犯罪者扱いになる。表裏一体であることを調査委員会は見逃さない。そういう現実も描くことで、彼が英雄なのか?傲慢なだけなのか?の正義の行く末を観客に委ねる。
映画は徹底して英雄として描くが、ただ賞賛するだけでないリアリズム。
そのために、機長は心労から飛行機がビルに突っ込む夢を見る描写がある。9.11を彷彿とさせる描写である。こういう描写が許される、米国の傷も癒えてきているのかなと勝手な解釈で見ていた・・・
機長は尋問会で川に着水しなくても済んだことがマニュアル実験で証明されたと主張する調査委員会に「そこに人的判断はあったか?」を問い正す。バーチャル画面の中で行われるマニュアル実験は人命を背負わずに、言われた通りの飛行操作しかしない。しかし、機長は、危機的状況に至った際の感情の揺れ、極限状態の判断に要する時間など、機械的でない<人として>の判断を問いた。
何でも理屈では語れない。最近は、「論破」なんて言葉が流行しているようだが、物事はもっと複雑だ。理屈で片づけられるほど単純なら苦労はない。
この機長が英雄と称され、映画としても成立したのは、こういう人的な部分があったからだと思う。
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