原作があまりに名作だとハードル高くて困るよね?笑
『七人の侍』を西洋の概念でRemakeして成功した『荒野の七人』のRemakeの本作、いわばRe×2make!時代性も近ければ、映画制作を取り巻く環境も違う。
が、変わらないのが「正義の鉄槌」という点。理不尽な力によって虐げられる弱者を助けるヒロイズム。これには相変わらず痺れる。
何故、この普遍的なテーマがいつになっても支持されるかといえば、これこそ民意だからではないか。先進国の司法は「復讐」を是としない。死刑制度廃止を求める風潮すらあって呆れる。9.11以降の米国が「復讐」を描くことは、イラク戦争の肯定になると批判されがちで慎む風潮もある。しかし、劇中で助けを乞う女性は言う「(復讐でなく)正義を」と。
そう、要は正義感の問題なのだ。悪人の人権だとか、倫理など介さない、悪い奴は相応の罰を与えるという勧善懲悪こそ、この映画の本筋であり、最大のカタルシスだ!
何にせよD・ワシントンがこれ以上に無いくらい格好良い!
誰しもが支持する名優が悪を制する爽快感……これぞ映画の本質を久しぶりに観た気がして、興奮した。
『七人の侍』が無私欲による意気で、『荒野の七人』が己の中の大義名分で戦いに挑んだが、この映画の七人には、そういった細かな心理描写すらない。アップテンポな物語進行の中で、ならず者達が自然と集まる。まるで、ヒーローの宿命を背負ったアベンジャーズの如く。そこに理由付けなどない。大義名分のようなものを重要視する古い映画ファンなら物足りないと感じるだろうが、これも現代風だと個人的には消化する。
『七人の侍』で志村喬が泥まみれになった姿、『荒野の七人』で砂埃が舞っていた様からすれば、土臭さが感じられなかったが、それもスタイリッシュとすると擁護し過ぎと批判を受けるかも知れない。けど、言わば、アクションが得意なフークア監督が撮っていると思えば、最初から期待する視点がズレるだろう。
そりゃ、原作の方がいいなんて、言ったらキリがない。
肝心なのは、利他主義の美学とヒロイズムをどこまで振り切って描けるかどうか、現代でも正義の鉄槌の必要性を説くところに意義がある。そういう開き直りさえあれば、どれだけカッコ良く、どれだけポップに、現代に「荒野の七人イズム」を大衆娯楽として成立させるか、この映画が、その課題を十分に果たせていたと思うに違いない。
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