やりたいことは『シックス・センス』だったのかと思うと脚本の妙を称えたくなりもするが、こういう人生肯定映画に果たしてそれが必要なのかと問われれば甚だ疑問にもなるが、妻である女性をまるで他人のように描いたのは、あざとかったし、真実味や説得性に欠けてしまう。
精神疾患で片付けてしまうには乱暴であるし、そもそも妻をも認識できないのは、もはや脳疾患のレベルになる。適応障害などの精神疾患は、症状として、現実逃避(特に仕事回避において)の傾向があり、会社や上司を非難し、社会参加への努力を放棄する傾向があるという。主人公が正しくこの状態だった。
この映画は、そんな辛い現実と対峙しない表現として、超常現象・精神現象を描いている。三人の役者が演じる「愛」「時間」「死」の抽象概念がウィルの目の前に現れる、それは、仕事仲間による救済行為であったが、この映画はそれらを否定した。非現実に心の傷の回復の道は無いとした。
結局は、主人公は現実を直視することで再度人生を歩み始めた。けど、傷は癒えてはいないだろう。厳しい選択である、けど、それも人生なのか。人生が持つビターな側面を描きながらも最終的にはすべてを肯定する、フランケル監督の優しさの表現なのだろう。
しかし、正直、人生の素晴らしさを歌い上げるにしては些か浅い気がした。『プラダを着た悪魔』で一躍脚光を浴びたフランケル監督は、この先オスカーを手に入れるかもしれない監督と言っていいだろう。彼は一貫として映画を通して人生肯定を行ってきた。そんな崇高なレベルにいる才人にしては、綿密なキャラクター描写・心理描写に劣っていた気がする。
それに、映画自体の時間も短かった、豪華俳優人のギャランティーでフィルム代が無くなったのだろうか?あくまで妄想でしかないが、実にリアリティがある(笑)主役のウィル・スミスに留まらず、E・ノートン、K・ウィンスレット、H・ミレン、K・ナイトレイなど、そんなに必要か?と思えるほどのスターが勢揃いだったからね。
ラストのどんでん返しなんか不要、それ以上に、人生賛歌に徹底して欲しかった。話も十分過ぎるほど素晴らしいものだったのだから。
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