くっそつまらない!
大概の映画は表現の存在として認める性質だが、この『アド・アストラ』は全く意味を持たないスッカスカな映画で、久々に時間を無駄にしたと思わずにいられない超ド級の駄作だった。こんな映画に希代のスターであるブラピが、よく出演OKしたなと思う。ブラピの無駄遣い。
人類が踏み入れたことの無い宇宙の領域(海王星)で消息不明となった父親を探すためにブラッド・ピットが宇宙に旅立つ話。余計な演出はなく、登場人物の感情も出来るだけ抑えられ、淡々と叙事的に語られるシナリオは、例えば『ゼロ・グラビティ』のような娯楽性に乏しく、果てしない壮大な旅である『インタースティラー』のような奇抜性にも及んでいない、非常に退屈なものだった。
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宇宙に旅立つ際に映画が描く姿勢としては、未知との出会いへの好奇心か、不安感のいずれか。
この映画は明らかに後者で、登場人物の感情どころか、BGMも廃された物静かなストーリーテリングは、どことなく不気味さを覚えさせる。ミステリアスな雰囲気の末に主人公は何を見出すのか? この映画は何を提示するのか? だけを期待して観ていたが、親父を説得して連れ戻そうとしただけ。その過程も、根暗な中年男の愚痴を聞いてるだけで、ドラマ性も娯楽的盛り上がりも無く、ただただ時間が経過するのを耐える苦行に近い2時間であった。
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未知なる宇宙への開拓は、人類の未来が無くてはならないと思っている。この監督がオマージュしたと言われる(出来てないけど)『21世紀宇宙への旅』で語られたAIとのやり取りのように、たとえ、恐怖でも絶望でも人類の進歩が感じられないと意味を持たない。
「海王星の壮観な景色の下には何も無い」ってされるだけでは、宇宙に希望は無いということになる。人間の科学では判明できない部分には何も無いよって、映画としては夢もヘッタクレもない結論ということになる。
確かに主人公のブラピは、略奪を繰り返す人類に辟易としているようなことを言っていたし、「宇宙の探索は現実逃避」だとジャック・バウアーの実の父親も言っていた。しかし、それでは映画としては味気ない。宇宙には無限の可能性があると思わせるのが虚構の出来る業である。その放棄の行く末に、希望はなく、単に宇宙の隅で親子愛を叫ばれても何の感情も突き動かせられなかった。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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