もはや芸能カップルの悲哀物語の教科書とも言える『スター誕生』のリメイクだけに、如何にベタなものが観れるかを楽しみにしていたのだが、どうにも俺の涙腺はM-1での上沼恵美子のように不機嫌だった(笑)
ここ数年は映画好きな自分にとって、変に奇をてらっただけで空ぶってる複雑な脚本は観疲れするから求めていない。むしろ、単純で王道でベタが良い。けど、何故この映画を受け付けなかったか、それはこの映画の視線にあった。ガガに全く感情移入できないのだ。
それはブラッドリーのアル中ダメンズぶりに共感出来なかったから。いくら何でも酷過ぎる。『リービング・ラスベガス』('95)のニコラス・ケイジもアル中で救いようも無かったが救済の気持ちが芽生えた(娼婦と共に堕落していく様が痛々しかったからか?)、けど、ブラッドリーは身勝手過ぎて見捨てたい気分でしかない。グラミー賞の壇上で失禁するって、幾ら何でも非現実的過ぎるし酷過ぎる。音楽家としてグラミー賞の壇上に泥酔して立つ愚かさが許せなかった。
それでも彼を愛するガガの気持ちが理解できない。時には女性的視点に立って映画を観ることも必要だ。ヒロインが愛する男性像でも、コイツ確かにモテるだろうなって男性的なセクシーさを嫉妬めいて感じることが出来れば腑に落ちるが、ブラッドリーは耳のトラウマあれど、逃避的で堕落的で傲慢でさえある。それでも彼を愛するガガすら哀れに思える。悲哀ではなく哀れ。
劇中にガガのマネージャーがグラミーでの失態のフォローが如何に大変だったかを言っていたが、おそらく現実世界で同様のことが起きれば、カップルごと世間の恥さらしになるだろう。リアーナとクリス・ブラウンのように。
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しかし、ガガが意外に演技できることに驚いた。
ゴールデン・グローブ賞にノミネートされたのも、話題集め、客寄せパンダ扱いかと思っていたが、元から我の強さで上り詰めた人だ。この主人公はガガ自身のスターダムに上り詰めた様と重なっているというが、そんな過去の自己再現の才能がいかんなく発揮されていた。それを引き出したブラッドリーにも初監督作としての手腕に拍手を贈りたい。
師であるイーストウッドの如く、余計な説明や描写を省いた語り口は素晴らしかったと思う。例えば、ガガがスターになったことを過程をくどくど見せるよりも街中の巨大な看板だけで表現するとかね。
けど、やはりガガは人間になってはいけない。
●人間じゃ無かった頃
●人間になってしまった
まだ知名度が低かった頃の09年初来日公演はサマソニ前夜祭のソニマニでのパフォーマンスで残念ながら見逃してしまったが、12年の来日時さいたまスーパーアリーナで開催された本格ツアー、そして14年来日時の海浜幕張の当時QVCマリンスタジアムでの雨の中の公演と観てきた身としては、ガガは突拍子もないから魅力があったと思っている。主要部門に初めてノミネートされた第53回グラミー賞のレッドカーペットでは卵に入って運ばれて来たり。
しかし、4th『Artpop』5th『Cheek to Cheek』6th『Joanne』と経ていく内に、ガガが人間化していくほど楽曲に面白みが無くなっていくのを肌で感じていた。妖怪人間は妖怪人間であるべきだと感じた。
それに比べたら、今回の劇中曲は良かったようにも思えたが。ちょっとぶっ飛んでるダンサブルなガガこそ真骨頂だよな(笑)
(文・ROCKinNET.com編集部)
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