人情味溢れる師弟愛の物語。かの有名な「浅草キッド」を映像化したもので、監督・脚本はたけしフリークで有名な劇団ひとり。台詞の全てが漫才のようで面白おかしく、また、愛おしく、劇団ひとりの芸人としてのプライドと、「たけし愛」の深さが窺い知れる。映画と言うのは、監督の作家性や、映像技術、役者の名演、脚本のオリジナリティで、その出来の素晴らしさが左右されると言われてもいい。しかし、情熱だけで、こうも名作が出来上がるもんかと見せつけられた気がする。劇団ひとりは本作の監督でありながらも、たけしフリークの代表者として、この上ない敬意と愛情でもってたけし映画を完成させた。まさに力作である。
劇中で「芸があって初めて人の前に出れるんじゃねえのかよ」という師匠の言葉は、芸も無いのにチヤホヤされるYoutuberや、ダウンタウンの二番煎じをやってる若手芸人が持て囃される今の娯楽の世界に喝を入れているようで、考えさせられるものがある。流行は時代の流れとは言え、芸が無い者に評価が集中することは、その国の芸能の衰退にも繋がると個人では思っている。この師匠の言葉は決して色褪せない説得性はあると思う。
「笑われるんじゃねえぞ、笑わすんだよ」という芸人としてのスピリットから礼節、所作まで「バカヤロー」という言葉で伝える、その裏側にある師匠の愛に思わず涙がこぼれる。
たけしは本当に師匠が好きだったのだろう。「さんまのまんま」でワイン飲んで酩酊しながら言った言葉がある「俺は若手に言うんだ、どんなに苦しくても芸人だけは辞めるな、他にいろいろ手を出して成功する奴いるじゃん? けど、芸人じゃないんだよな」と。これも、テレビの流行を嫌い、あくまで浅草フランス座で舞台喜劇役者としてのプライドを持っていた深見師匠の教えなんだと気付く。著書「コマネチ!」でも、愛すべき人として、明石家さんまを「唯一負けたと思った芸人」と紹介する中で、師匠にも「俺は師匠が好きだった」と触れ、ただ「酒を飲んでる姿は悲しかった」と言っている。
今の芸人は地位が高くなってしまったと思っている。報道のコメンテーターなんかやるように。それも、全部は漫才ブーム以降のことだ。アイドルや野球選手並みに芸人の人気が出る、そのブームはツービートが牽引してきた。スタンダップ・コメディアンであるレニー・ブルースを参考にしたという「赤信号、皆で渡れば怖くない」などの毒舌は、当時は斬新で、大衆的だった。早口で捲し立てる芸風は、ジャズ喫茶で働いていた経験がいかされ、ビートが変則的に切り替わることからヒントを得ている。生まれた時に既にスターでテレビの中心だったビートたけしの「革命児」としての側面が垣間見れたのは嬉しかった。
そして、何よりも、決して物真似にならない絶妙な癖を演技に取り入れた柳楽優弥と(たけしの所作指導を松村邦洋が務めたとのこと)、テレビを嫌ったがゆえにフィルムが存在せず、我々が知らない深見千三郎を再現した大泉洋の名演に拍手喝采だ! この名優二人だからこそ、芸人の回顧録ではなく、人情物語として成立した。今年、日本映画1番の傑作だってんだよ、バカヤロー!
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