時たま衝撃を得る映画を観ることがある。自分が理解していると勘違いしていた事柄の、そうではなかった事実が暴かれる時だ。『グリーンブック』が今年のアカデミー賞を獲得した時に、黒人への寛容的なメッセージが込められた映画への評価が嬉しいと呑気に言っていた自分を恥じたい。そんな悠長なことを言ってられない現実がそこにはあったからだ。
浮世離れした設定のみに興味津々で観ると脳天撃たれるだろう。そんな柔い映画ではないから。主人公の黒人警官がSWで暗黒面に落ちたユダヤ人警官とバディを組んで白人に成りすましてKKKに潜入捜査を行う。いつ正体が判明しないか、終始そのサスペンスに緊張が走る。コミカルな描写もあり、その中で黒人の発音の特徴、白人の発音の特徴まで触れる。我々には理解しがたい微小な違いであるが人種間というのは、こんな僅かな差が成立すると思うと本当に複雑なんだなと改めて感じる。
KKKは「アメリカファースト」と幾度となく叫んでいた。それが正義と揺るがんばかりに。劇中で引用される1915年公開の無声映画『國民の創生』で描かれていることそのもの。《勤勉な黒人と、彼らを雇う白人は上手く調和してたのに、一部の過激な黒人のせいでアメリカが分断されてしまった。それを統一しようじゃないかという思想》それが「アメリカファースト」。残念ながら、こんなとんでもない思想を時の大統領も掲げ、政策にもなっている・・・・・・表向きはここまで。実際は、そのためなら、黒人をぶん殴っても何しても構わない。自分たちの正義を掲げるためだからとなる。
劇中、『國民の創生』を観ながら黒人への嫌悪感を露わにするKKKの異常性に恐怖を感じた。醜悪さそのものだった。同時に、「バナナ・ボート」でも知られる大御所ハリー・ベラフォンテが旧友がリンチされたエピソードを語るシーンがクロスされる。ド直球なメッセージ性に容赦は無かった。何も槍玉に挙げるつもりは無いのだが『グリーンブック』のような、レストランに立ち入り禁止されるレベルの描き方では無い。存在そのものの否定以上の憎悪の描写に、人種差別の本質を肌で感じることが出来たのだ。差別されている側にしか理解できない物事の側面の描き方であると感じる。人間ってのは、ここまで醜く成り得るのかと、不愉快極まりなかった。
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とにかく、リー監督の熱量が半端なかった。一貫して黒人差別への怒りを映画を介して主張し続けてきた監督の集大成的作品と言っても過言ではない。
何故キャリア数十年にして今このような高みに来れたのか、紛れも無く今のアメリカが過剰にまで差別が横行?暴走しているからだ。今こそ怒りを表明するタイミングだったからだ。
映画でも、その怒りは最後に爆発する。潜入捜査が成功し、黒人警官がKKKのお偉方を欺いたカタルシスでスカッとした気持ちで幕を閉じたと思いきや、その直後に実際の映像で黒人デモの中に車が突っ込んでいく様子や、KKKが過激化する様子が映し出される。百聞は一見にしかずだ。ボディーブローを喰らったように、事の深刻さに唖然とする。
ハリウッドが本気で人種差別を問題視したいのならば、この映画にこそ作品賞を与えるべきだったと思う。何も解決されていないのだから。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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