ここ最近の邦画における青春映画としてはトップなんじゃないかと思える傑作と評したい。
最近の「働き方改革」の風潮の中で、学校教師の部活動に充てられる負担軽減が取り立たされたりする。名指し攻撃は良くないと思えど、内田良という名古屋大学の准教授が、NHKか何かに出ては「学校内での部活動の活動制限」を唱えたのを見て唖然茫然としたことがある。要は、本気でその部活動に励みたいなら、専門のスクールに通えばいいという考えである。まして、部活の全国大会の廃止まで述べている。
ハッキリ言おう。馬鹿馬鹿しい。これは勉学以外の「文化」、いわゆる、運動・芸術分野の低迷に繋がるとしか思えない発言である以上に、若かりし頃に経験できる、青臭くて、恥ずかしくて、でも人生に於いては絶対に貴重で崇高な「青春」を奪う指摘である。大人が青春期の思い出を奪ってどうする! 学校は勉強するだけの場ではない。むしろ、それ以上に学べることは多い。例えば、サッカーに励む中で、部活内外で、仲間と笑い合うだろる、対立もするだろう、恋愛もするだろう。
スクールは一時的なもの。塾だ。否定はしないし、塾で青春が出来ないとも言わないが(個人の勝手なので)、多くの時間を共有する学校の仲間だからこそ生まれる「思い」は大きい。成績を残すためにスクールに通うという機械的な発想しか出来ない程度の低次元な童貞な青春しか送ってこなかったから、こんな発想しかできないのだろう。こういうことをテレビで言う大人になってしまったことを恥じた方が良い。こういう発言が、国立の教授から出ていることが情けない。しかも金髪が似合ってない(←これは個人的な悪口です、スミマセン)
話が大きく逸脱したが、要は、このような青春を思いっきり描いて、この三部作の最終話で、ここまでのカタルシスに昇華させた本作に、この上ない爽快さを感じたのだ。前二作は立て続けに公開された。そこから、2年後に公開された本作を観て、懐かしさすら感じる。
広瀬すずと、野村周平、真剣佑の恋愛三角関係よりも、葛藤や仲間意識、部活に打ち込む姿に重きを置いて描いたことがいい。野村周平が受験と部活の狭間で揺れる葛藤を理解したり、机君が最後の試合で負けた時に感無量になったり、上白石萌音が主人公と出会った頃を懐かしむシーンに感慨深さを感じたり。劇中で試合に勝てば一緒に喜んだり、すっかり、観客も瑞沢高校競技かるた部と青春をしているのである。青春疑似体験が出来た時点で、この映画は成功している。
そして、新キャラを登場させて、彼らがアクの強さを見せながらも、映画の同胞にうまく溶け込んでるのが良く、続編としての面目が保たれてる。
そして、カルタを取る際の演出がパワーアップしている。カルタが光ったり、カルタを取る瞬間をゼロコンマの世界まで見事に表現し、まるでボクシング映画を観ているかのような気迫あふれる描写が冴えわたっている。監督の采配に脱帽だ。
恋心を歌った二つの名歌「恋すてふ」と「しのぶれど」を引き合いに出し、それらを軸に物語がクライマックスに進む展開が流石だ。1000年の時を超えて、現代に古典を交えるダイナミックさには目を見張る。
前作では手探りで始めた部活立ち上げから、今回は高校生活最後・引退をかけたエピソードが多い。そこには、単純な青春映画で描かれがちな、順風満帆な成長や成功物語はない。仲間と様々な想いをぶつけながら、物語は進んでいくから目が離せない。そして、冒頭でも指摘した、青春でしか味わえない貴重さすら気づかせてくれる。若さの浪費の否定である。自分が完全燃焼できなかった、そういう青春期だったからかもしれないし、羨ましいけど、だからこそ、この青春映画を支持したい。
今の10代は「それな」って言葉をよく使うけど、前二作の時には無かった。劇中でも台詞として使われていたが、若者の流行や時間の流れは凄まじく早い。そんな中で、二年間のブランクを空けてまで、普遍的な青春群像劇を成立させた監督と、変に大人にならなかった役者陣に拍手だ。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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