いつから人々は“働くこと”をネガティブに捉えはじめたのだろうか? 高度経済成長時なら働くことは喜びであり、国全体が戦後復興、東京五輪、万博と明るい未来に向かって労働意欲を掻き立てていたのに。今では仕事は嫌なもの。その責任と攻撃対象は、やはり会社に集中する。人間の欲は果てしない。隣の芝生が青く見えるもので、自分の環境が恵まれていないと感じるものだ。そんな風潮に加えて、昨年の電通社員の事件を受けて、社会全体の「ブラック企業」の取り組みは本格化してきた。
そもそも、ブラック企業は何故生まれたのか?
現役を退いた団塊以上の世代は「甘え」と評する人も中に入るだろう。労働環境への不満は働く現役世代の錯覚なのか。そうでもない。全てはバブル崩壊に起因する。
例えば、団塊の世代の初任給は、私と同年代のロスジェネ世代の数倍に及ぶ。そんな状況下で彼らと同じだけのバイタリティと愛社精神を持て・・・・・・馬鹿げていると思ってしまう。
バブル崩壊後に経済が停滞し、日本の多くの企業は、生き残るために人件費削減を強いられる。金も借りられない状況。銀行が潰れるなんて馬鹿げたことを言うなと、バブル期を過ごした大人たちは口を揃えていた(映画『バブルへGO!』でもバブル期の人間を演じる阿部寛が言ってたではないか)。
人件費の削減、終身雇用制度の廃止、昇給性の不透明化、非正規社員の増加、これらの過酷な労働下で、企業は社員の気持ちよりも、不況を切り抜るための保身優先になる。一概に悪いこととは言い難いが、そんな中で、常識外のサービス残業、人権無視の労働環境・ノルマなど、極端な事例も出て来る。これこそ、ブラック企業。
日本経済の崩壊に伴う副産物であるのだ。何がいけないかって、それを長年、国が放置したことだと思う。だから、この映画のように、バブル経済すら知らない現代の若者世代が悪徳企業に翻弄されてしまうのだ。この映画は、ただの五月病対策や、ブラック企業への嫌悪感丸出しな映画に留まらない。現代における新しい価値観の創設の映画なのだ。労働こそ人生だった価値観からの完全なる脱却。
「何のための人生なんや?」
劇中の福士蒼汰のセリフは達観した人間の言葉の数々である。これに若者たちが共感し、社会人世代を持つ親御さん達も子供を危惧する。そう、就職難もブラック企業も、当人だけの問題ではない。その人間を取り囲む家族や親類の問題となる。まさしく社会問題なのだ。
主人公が実家に帰って「もし自分が会社を辞めると言ったら」と両親に尋ねると、すかさず「会社はひとつじゃないけど、貴方は一人しかいない」という言葉が返ってくる。労働に対する現代社会の答えが描かれているような気がした。
今の若い世代は真面目な人間が多い。道から外れることすら恐れる。けど、違う。自分や他の誰かが決めたレールの上を歩だけの人生なんて退屈だ。自分で決めたことすら実現できなくたっていいんだ。
逆に、こう思ったらいい。自分の思い通りにいかないからこそ、人生は面白いと。そうなれば、少し余裕も出て来るし、人生が彩り豊かに感じるではないか? ラストで福士蒼汰が白い海岸を走り抜けるシーンで(三ツ矢サイダーのCMかと思うくらいの爽やかさ)、爽快な気分になったのは、そういう労働以外の新しい価値観を感じれたからだと思う。この映画は現役世代の救いだった。
非情な映画の中で、福士蒼汰の天真爛漫であどけない演技が何とも言えない、優しさオーラを醸し出し、とてつもない癒しを与えてくれる。関西弁もうまい。キムタクの侍映画以上に、役者・福士蒼汰の成長が垣間見れる。
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