黒人差別が横行する中で偉業を成し遂げた黒人女性の物語というと、いかにも道徳チックな説教深さが連想されがちだが、同じく黒人女性差別を描いた『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』もそうだったように、この映画はどこまでも痛快でコミカルだった。ファレル・ウィリアムスの軽快なポップに乗せて、底なしに明るさを描くことが完全な勝算だ。数学版『ドリーム・ガールズ』とも言うべき、主人公達三人の黒人女性の活躍に心躍る。しかも、白人男性の監督が作ったということも意味あることではないか。
シドニー・ポワティエの時代とは少し違ってきているのかなと思う。最近は黒人映画が高い評価を得ている。今年2017年のオスカー受賞作『ムーンライト』然り、『それでも夜は明ける』然り。(もちろん、シドニー氏やデンゼル・ワシントンが切り開いてきた道の行く末にこそ誕生した映画たちであるとは思うが。)
当時のアメリカは、当時のソ連と宇宙開発競争・マーキュリー計画を繰り広げる真っ只中。優秀な人材を欲する中で、抜擢されたのが、主人公たち、黒人女性だった。しかし、当時は白人と有色人種でトイレすら分けられ、コーヒーポットまで分別される始末。毎上司のケヴィン・コスナーは主人公に「毎日40分も姿を消す。どこに行ってるんだ、君には期待してるんだぞ!」と怒鳴るが、800m先のトイレを往復する主人公の状況を理解できるはずもない。差別は受け手にしか、その苦しみが分からないからだ。涙ながらにコスナーに自分の苦悩を主張する主人公の姿に、この映画は人間の尊厳の映画なのだと感じた。何にせよ、人間は尊厳を失ってはいけない。尊厳こそ過酷な状況下で己の気持ちを支える上で重要なのだと気付かされる。
この主張を受けて、「非白人用」と書かれたトイレのパネルをハンマーで壊すコスナーの英雄描写もバッチシあった! 往年の英雄の肩入れも、きちんと描いている配慮があざとくて好きだ。
言ってみれば人種差別は今も続き永遠に無くなることのないアメリカの最大の闇である。軽快でポップで、痛快作にするためには、その闇を美化させる必要性がある。それが真実が脚色化は分からない。けど、おそらく現実はもっと厳しい状況だったに違いないし、彼女たちは想像を絶する程もがき苦しんだだろう。しかし、能力は人の価値観や思想を変える。高い能力(努力)を持って、マジョリティ達を有無言わさないようにしてく、主人公の黒人女性達の姿にカタルシスを感じた。マーキュリー計画に多大な功績を残した主人公と白人男性の間には、いつの間にか「仲間意識」「同胞」というものが芽生えているように自然と見えたのだった。
人類発展の大きな偉業の裏には必ず「人力」がある。コンピュータではない。この映画でも描かれていたが、IBMを動かすのも人だ。鉛筆やチョークを必死に動かして計算をするというアナログな手法で宇宙に挑むというギャップに、人間の頭脳と知識の偉大さを感じた。AIの進歩が横行する中で、こういう人力によって何かが達成される映画を観るのは気持ちいい。
(文・ROCKinNET.com)
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