21世紀の娯楽作の王者ノーラン監督が戦争映画を撮るとこうも凄いというのを見せつけられた。ここまでリアリティな戦争映画は見たことが無い。それも、スピルバーグが『プライベート・ライアン』で描いた戦争のリアリティとは違う。あの作品も後の戦争映画の描写に多大な影響を与えたにせよ、弾道が正面に迫ってくるように描いた、その視覚的過激さは、言い方は悪いが、娯楽的だった。
これまでの戦争映画は正直酷かった
戦争を描くには相応の信念と覚悟が必要だと思うが、実際のところ映画である以上、多少のエンターテイメントも加えられているものが多い。最たる例は『パールハーバー』か。水牛みたいな面したベン・アフレックとケイト・ベッキンセールの恋愛物語を戦争そっちのけで描いた映画、浅はかさの極みだ。リドリー・スコットの『ブラックホーク・ダウン』も、まるで銃撃ゲームで酷かった。ソマリアの人々がまるでゾンビのように撃たれる、バイオハザードと大差ない戦争描写に正義の意味を問いたくなった。
説明を回避したことで生まれたリアリティ
しかし、この『ダンケルク』はこれらと異なる。説明が一切されていない。史実であるがゆえ、この先にノルマンディー上陸作戦でドイツが劣勢になることは分かっていながらも、この映画で描かれている瞬間の、英国軍と仏軍が窮地に追い込まれている空間をありのままに描く。事前に世界史を勉強していなかったので、なぜ英国艦隊は助けに来ないのか? チャーチルの意向は何なのか? どうしたらいいのか? 何も分からない。それこそ、ノーラン監督の狙い通りだったのだろう。この映画は正に臨場体験である。スクリーンいっぱいに映し出される大海原、耳をつんざくような大爆撃音など、視覚と聴覚で訴える。
だから、映画中の台詞が異様に少ないことも納得が出来る。そんなペラペラと喋る戦争映画は嘘くさい。
沈黙の緊張感。主人公たちが放置されたオランダ船に隠れている時に、その船がドイツ軍の射撃練習の的になった時の緊張感。銃弾一発の恐怖を描いたノーランは流石だ。息苦しさの中で、とにかく、この場から早く逃げたいと観客の俺にすら思わせたノーランの完全勝利である。
ノーラン監督、実はハリーを知らなかった
ノーラン監督自身はハリーについては、さほど知らなかったという。しかし、奇しくもこの映画の最大の話題となってしまったワン・ダイレクションのハリー・スタイルズの出演だが、存在感も演技もかなりいい感じだったと思う。『パイレーツ・オブ・カリビアン』のキース・リチャーズのようなアクの強さも無く。これだけのスターであり、主要人物ながら、妙な存在感も出さずに、脇に徹しられたことが驚きだった。これが映画出演最後というが、もう少し彼の姿をスクリーンで観てみたいものだ。
主人公を演じた新人のフィオン・ホワイトヘッドの何とも言いようのない表情も素晴らしかった。この映画は台詞が無い分、表情で持たせるという難易度の高いことをやってのけた新人に拍手だ。
(文・ROCKinNET.com)
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