M・ナイト・シャマランという映像作家は不幸な作家である。20代にして「その手があったか!」と、世界中の映画ファンを驚愕させた『シックス・センス』(99)で一躍有名になり、“オチありき”の監督になってしまったがゆえに、映画の語り口や内容はさて置き、衝撃度のみで評価されてしまうのだから。
もちろん、ネタバレ無しで話を進めるとするが、今回はオチ云々は期待せずに、それまでのミステリーを楽しむような映画だと思った。出来れば、1955年オハイオ州で強姦強盗が起こった「ビリー・ミリガン事件」というのを頭の中に入れておくといいだろう。自分もこういう事件があったことを初めて知った。
多重人格というのが当事件で注目されるわけになるのだが、これまでホラー映画なんかで時折扱われる人物設定だ。代表的な例はやはり『サイコ』のノーマン・ベイツということになろうが(ちょい前で言えば、指輪物語のゴラムなんかもそうか?)、これらを見ていると多重人格というのは、まるで一人の人間が別人格をいくつも持って、それが分裂したイメージであったが、この映画によると、どうもそうじゃないらしい。同一人物内に複数形成された人格を、コントロールする人格がいて、脳内のスポット(この映画では「照明」と呼称される)に立つ人格が意識を持つ、すなはち人格として外部に表れてくるというのだ。その個人が持つ多人格のコントロールが効かない障害と捉えるのが今の解釈らしい。
(別に俺は精神科医でもないので、それを知ったところで飯の糧にもならんのだが・・・・・・笑)
この映画の犯人が持つ人格なんかは、潔癖症の男性、エレガントな女性、9歳児、ゲイの衣装デザイナー(23人格とは言うが主にこの4人しか出て来ない)が、誰が多人格たちを統率しているのか、“怪物”から全員を守っているのかなどと、語られていくのだ。そんな知識もないから、当然のことながら、異様なキャラを好奇心を煽って見せてくる。やはりシャマラン監督はミステリーの天才である。もちろん、その様は不気味としか言いようのない異常性を醸し出してるが、それらをマカボイが圧倒的な演技で見せてくれる。
通常なら特殊メイクやCGなどで表現すれば容易なことなのだが、見事に表情ひとつで人格の差を体現させた。そこに、様々な性別世代の喋り方が加わり、一人5役6役を見事にこなした。この映画は彼の演技なしには成立しない。一時はイケメン枠にいたはずの俳優の怪演が見所だ!
で、その中心人格が言うところ“怪物”っていうのが何なのか? これが謎を呼んでいく・・・・・・オチのためなら『サイン』で、お茶の間に宇宙人を平気で登場させてしまうシャマラン監督らしい、個人的には「なんじゃそりゃ!」的な発想だった、「マーベルかよ!?」なんて思ったりもした。あまり言うとネタバレになるので、このへんで。
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随所で回顧シーンがあって、実は両親を亡くした主人公の女子高生が叔父から性的虐待を受けてきたという絶望的な人生を垣間見ることになり、結末に解放されるも保護者である叔父が迎えに来たと警官に言われることのモヤッと感たらない。24人格者と同列に、この健常者であろうはずの叔父の異常性も気味悪い。続編でライフルで撃たれてしまえばいいと思うが(笑)
そう、これは続編があるという。
この映画の事件がニュースで流れているのを、とあるファーストフード店のカウンターの女性が「数年前にも似た感じの車いすの人が逮捕されたわよね・・・なんて言ったっけ?」と言った後に、なんと、ブルース・ウィルスが登場し「ミスターガラスだ」と言って映画は終わる。このブルースは『アンブレイカブル』の主人公。要はクロス・オーバーがされているのだ。
『アンブレイカブル』は主人公がサイコメトリー的な能力が自分にあると知ることで慌てふためくものだった。その劇中後半に、主人公は母と幼い息子の親子と道ですれ違う。その際にダンは自身の特殊能力で、この幼い男児が母から虐待を受けている・・・・・・というシーンを見る。そう、その男児とは、まさしく、この犯人なのだ。
自分の作品に伏線を張り、20年近く経って、別作品に関連付けるという緻密さには脱帽だ。シャマラン監督の曲者っぷりが、いかんなく発揮されている。シャマラン版アベンジャーズでもやる気か?(笑) それとも、続編は、特殊能力を持ったブルース・ウィルスと、怪物人格のバトル映画なのか? 面白そうである。2019年が待ち遠しい。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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