アメリカの大統領選は完全にエンターテイメントなんだなと思っている。相手陣営の何かしらの不祥事を探してテレビでバッシングの嵐。政策論争よりも娯楽戦争の末のイメージ戦略に勝った者が勝つ印象が拭えない。それもまた娯楽的だ。ジョン・F・ケネディの再来と言われたゲイリー・ハート上院議員は1988年の大統領選で民主党の最有力候補になるも、ちょっとしたゴシップにより、たった三週間で人気が転落し選挙を辞退する羽目になった。
社会派ドラマの様相を醸し出しているが、完全にワイドショーである。他人の不幸は蜜の味精神のワイドショーが昔から苦手で、と言うか有名人の下半身事情に全く興味が無くて、ちょっと前のベッキー騒動も無関心だった身としては、本当にどうでもいい話ではあるんだけど、やはり大統領候補ともあろう存在が如何にして転落したのかを知りたくて観たら、意外に映画に没頭してしまった自分が情けない。要は、ゴシップの娯楽性に群がる大衆心理が俺にも働いたってことなんでしょ。我ながら情けない。
けど、出来る男ほど女癖も悪いもんなんだよね。バイト時代よく見てたけど、社長と呼ばれる人の多くは愛人いるじゃん。それって、仕事が出来ることと、異性を惹きつけることの双方が、男性ホルモン量に関係してるって科学的に証明されてる。同時にハゲも多い。
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この映画でも何が悪いんだろうと思いながら観てて、結局は滑稽な話で、大事な時期にチャラけた女引っ掛けた議員が自業自得と言ってしまえばそれまでなんだけど、何十年と生きてきて叩いて埃のでない人間なんていないと思う。誰しも、オイタのひとつやふたつあるだろうと。加減はあるが。
ただ、この映画の場合、取り巻きのマネージメントの甘さがどうかと思ったんだよね。彼は元ハリウッド俳優のレーガン大統領の後任を決めるタイミング(国民にテレビが普及してきた頃)に出てきた訳で、大統領は見た目も重要になってきた。容姿端麗なヒュー・ジャックマンだから説得力あってハマリ役だった。そういう時代性で彼のような、男性ホルモンむんむんの仕事も出来るモテ男が大統領候補で且つ人気者になるのも宿命で、そう考えると、この映画で起きる一連の騒動も想定内、そこまで予想して彼を操れる切れ者が周囲にいなかったのが残念だったかなって。
そんなゴシップをジャーナリズムと謳って報道した新聞記者の報道陣としてのスピリットも情けなく。民主党がポピュリズム下手で過熱するマスコミに良いように煽られてしまうのは現代にも通じてるなと思った。
そもそも政策よりも人気者への投票化している民主主義国家を憂うべきなのかとか、政治家って選挙って何だろうか、報道とはどうあるべきなのか、鑑賞後に考えたくなる映画ではあった。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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