エメリッヒの自然災害映画に、『アルマゲドン』的ヒロイズムと、『ゼロ・グラビティ』のような宇宙パニックと、「24-TWENTY FOUR-」のアクションを、ごちゃ混ぜにした、ごった煮ちゃんぽん鍋のような、もう、何でもアリな映画だった。これを訳が分からないと評するのか、満腹感な贅沢品とするのかで、この手の映画に対する個人的な意見は分かれるだろうけど、これだけ、いろんなことをやっても、そのひとつひとつの描写が既視感ありあり(日本語主題歌を担当してるB’z同様パクリ的)で、新鮮味に欠けるというのも凄い。B’zの曲同様に印象に残らなそうな映画だった。
映画を観るには「脱思考」が肝心な時もある。僕のように、忙しない日常から離れたいがゆえに本作を選ぶって人も多いだろう。非日常的なディザスター描写は何故か恐怖ではなく、好奇の目で見れるし、要は娯楽要素なのだ。リオデジャネイロの海が凍っていって、逃げ惑う人々も凍るとか。巨大なヒョウが東京に落ちるとか。ドバイで超高層ビルが、大波にのまれるとか。香港で、落ちた卵が目玉焼きになるくらいアスファルトが熱持つとか。とにかく、世界中の大都市をフルボッコ! エメリッヒがやり尽くした感のある自然災害描写を、やりたい放題で、ハチャメチャに描き切る圧力に強引にでも納得させられる。この“ハチャメチャ感”こそ、この映画の最大の持ち味だ。
しかも、その異常気象の原因が“ダッチボーイ”という、ワイフじゃなくて良かったなという世界の気象を制御する宇宙ステーションの異状によるというから、ぶっ飛んでる。自然が相手ではなく、人工物なのだ。だから、宇宙に行って修理をしなければいけなくなる。大統領なんかが相談する訳だが、その大役を任されたのが、主人公ジェラルド・バトラーと聞いて唖然とする。どうあがいても科学者に見えない(笑)
しかし、彼でないといけない理由が、後に、きちんと描かれる。いわば、宇宙で格闘するくらいの科学者だからというのもあるが、ある理由から、ダッチボーイを破壊する際には、誰か一人がステーションに残らなければならn・・・・・・以下、敢えて省略。ブルース・ウイルス的な英雄像を描きたいベタ~な展開には辟易としたが。ジェラルドの目指す方向性としては正しい起用だ。主人公の弟役のジム・スタージェス(イケメン売り)だって、無意味にベッドシーン入れてるので、各々の俳優の持ち味は活かされていたのかなと思う。
※注意※
多少ネタバレになるので、これ以下は未鑑賞の方は読まないで下さい。
そして、このダッチボーイの故障には、ある陰謀が隠されていることが判明することも、ミステリーとしての娯楽性を高めている。しかも、犯人はホワイトハウス内にいるという、ポリティカル・サスペンスに急展開する。気付けば、ド派手なカーチェイスや、銃声が鳴りやまない「24-TWENTY FOUR-」のようになってしまう。しかし、容疑者である大統領、アンディ・ガルシアが民主党ということ、その側近エド・ハリス(真犯人)も民主党員なのは、共和党下の現状に媚びたのだろうか? あ、こんなことを言ってはいけない、脱思考しなければいけないんだった(笑)
好き勝手、地球を壊した割にはあっけなく英雄万歳で終わる無責任さも、旧来通りの災害映画としてはお決まりで素直だとしとこう。逆に、頭を空っぽにすることが、こんなに疲れるのかと思うほどに要素満載で、結局何だったの? という気持ちで劇場を後にした。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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