無難な作品だった。これを賞賛と捉えるか、悪意と捉えるかは個人に因るだろう。ここでは、その意思は明記しない。ただ言えることは黒人差別を問題視し、人種差別を解消するに値する作品ではないことは確かである。なので、鑑賞中に「(人種云々を隅に置いといて)これはピアニストと用心棒個人の友情物語」とスイッチを切り替えて観れば、少しは栄養になる映画かなと割り切れた。
この映画がオスカーで作品賞を獲った際に「白人救済主義」だと批判が飛んだ時に、その意図が理解できずにいた。いいじゃん、白人が黒人を擁護して何が悪いんだ、なんでも文句を付ければいいってもんじゃないんだよって。けど、こういう表面だけをしゃぶしゃぶしただけの映画に時代を変えるまでのパワーは備わっていないことは、同候補だったスパイク・リーの『ブラッククランズマン』を観れば分かる。黒人差別は何も、レストランやトイレに入れない、屈辱を味わうだけではない。本当に末恐ろしい憎悪の元で成立してるってことをリー監督は示した。それは、当事者だからだ。差別の本質をえぐらなければ、薄っぺらい道徳の教科書で終わってしまう。差別意識は無いにせよ、『グリーンブック』の制作陣には、そこまで深く切り込める手腕が無かったのは、白人だけだったから。「俺たちは差別はしない善人」でしかないからだ。
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だからこそ、これは友情物語でしかない。そう開き直らなければ楽しめない。
主演であるヴィゴ演じる用心棒のぶっきらぼうでありながらも、少年のような素直さに好感が持てる。当初は差別主義者と描かれていたが、請け負った仕事や黒人である雇い主に対しての向き合い方は純真そのものだった。結局、この映画で語られる全ては、彼の純真さで成立してたと言って過言ではないと思う。彼の乱暴さがなければ、アリ演じるピアニストは南部をツアーで回ることなんか不可能だったわけだし(それにスポットが偏ってるから「白人救済」なんて言われるのだろうが)、ピアニストの繊細さがあったから、用心棒が非差別的な価値観を持ち、ヤクザな道を歩まずに済んだ、いわゆるWin-Winな関係性。非常に気持ちの良い話ではある。
そんな正反対な二人が繋がったのもフライドチキンという描き方も面白い。けど、現実世界でも心が通じるなんて、ほんの些細なことだったりする。たったフライドチキンが重要だったりする。
そして、最終的には、孤独よりも誰かに寄り添い生きていく温かみを感じさせて物語は幕を閉じる。うん、完璧なまでに良い話。涙を流すとか、心揺さぶられるほどの熱いものは感じなかったが、九割の人間が肯定するような良い話。無難っていうのはそういうこと。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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