世界的ブランドであるグッチが、どのようにビジネス発展していったか?
経営学的観点でも非常に興味深いが、伝統や刷新、家柄と陰謀など、大富豪が抱える醜い私欲争いによるサスペンス的展開が実に面白い。それら、欲々しい人間の姿を、リドリー・スコットが、名優という名優を起用して重厚な人間ドラマとして描いたことで驚異的な吸引力を発揮、モード版『ゴッド・ファーザー』は、胃もたれするほどの完成度で、大満足、見事としか形容のしようがない。
恋愛に家柄なんて関係ない。
ロミオとジュリエットが有史以来の恋愛物語の常識として定着し、それが価値観となった今では、愛至上主義が大原則。しかし、グッチの名の下にそんな通論は邪論と化す。草食系童貞息子アダム・ドライヴァー演じるマウリツィオが初めて父親の元にガガ演じるパトリツィアを紹介した時、彼女の家が運送業を営んでいることに引っ掛かる父親は結婚に大反対するも、親の反対を押し切って結婚。それまで恋愛成就の下手なメロドラマは美しく見えるが、結果論として、それが判断ミスだったことが何よりも皮肉だ。
とはいえ、実際に世襲制として世に継がれ、時代に取り残された価値観のまま停滞していたグッチ。パトリツィアの革新的進展は必要不可欠だったわけではないとは言い切れなかろう。
ただ、彼女は弁えていなかった。自分が認められようとグッチ経営にまで口出すパトリツィアだが、嫁だから、女だから、部外者だからと存在を軽んじられ、配偶者には血縁としての「グッチ家」の者として排除される。野心が空回り、自らの存在を表すための決断は、カタルシスと言うには程遠く、フェミニスト的な視点と容認するには理解に苦しむ。彼女が、次第に、占い師の狂言にハマっていく様を見ていると、オセロの中島をふと思い出したが(笑)、『ゴーン・ガール』並みに悪女っぷりを発揮した、玉の輿を狙った女性の末路の滑稽さには自分の倫理観と反するので共感できなかった。ただ、完全に役者の顔となっていたガガの存在感、巨匠が描く名優の中で「コテコテ感」を脱するに相応しいアーティストとしての特異性はバカに出来ない。
結局は、彼女は地位も名誉も大金をも手に入れたが、品位と良識を得られなかった。そんな当たり前すら錯覚させてしまうほどの良家グッチのマジック。泥沼人間関係も、ファッショナブルな外見の細部まで拘った完成度のお陰で何故か陰気臭くないのも、娯楽作に拘ったリドリー節で見事だ!
(文・ROCKinNET.com編集部)
※当記事の著作はROCKinNET.comに帰属し、一切の無断転載・再交付は固く禁ずる。
最新情報をお届けします
Twitter でROCKinNET.comをフォローしよう!
Follow @ROCKinNETcom
この記事へのコメントはありません。