前作は愛犬をチンピラに無残にも撃たれてしまったことから始まる大復讐劇で、犬の仇という理由付けがきちんとされており、その代償としての復讐劇としてはやり過ぎる、そのギャップが面白かった。
確かに、やり過ぎ感はあったけど、マフィアを壊滅させる理由があった。それには、特に愛犬家としては、フィクションということを自覚した上で腑に落ちる部分もあったし、初回ということでの、ジョンの異常な偏執狂的な部分が、ある意味、馬鹿げていて、面白い映画だなと思ったものだ。
この映画の魅力は、やはり「浮世離れ」にあると思う。
そういうものは、現実味が無いと片付けられがちなのだが、どうして『ジョン・ウィック』は成立するのか? それは、銃撃とカンフーを融合させた「ガン・フー」の華麗さにあると思う。『燃えよ!ドラゴン』を観ているようなとは言わないが、アクション映画には一種の非現実的なエッセンスが盛り込まれている。ヌンチャクひとつで何十人も敵を倒す“非現実性”はどうでもよくて、そのブルース・リーの姿そのものに惹かれるのと一緒。
とにかく、キアヌがカッコ良いのだ(この人は老けないね~)。アメコミ映画全盛で、映画のアクションに生身の人間の体温が失われて久しいが、近年ここまでスター本人が身体を駆使して、肉体的なアクションを懇切丁寧に作ってる映画も少ない。そういう意味では貴重な映画だが、この映画の最大の持ち味である、やり過ぎアクションも、観客の良心が共感できるレベルでの理由付けが無いと駄目だと感じた。
と言うのも、今回は、あそこまで大袈裟に逆襲する理由が無いのだ。殺し屋稼業のジョン・ウィックの宿命めいた苦悩が浮き彫りになってきたことで、続編としての面目は守られているが、誓いを結んだ昔の仲間から、とある仕事を依頼されて、それを断ったら、家をバズーカで爆破されて、頭に来たから数百人のマフィアを前作同様にやっつけまくる・・・・・・ちょっと各々のキャラクターが、各々の行動を取るまでの動機や大義が浅はかに思える。この映画の世界では、少し考えるってことをしないのか?(笑)
前作のように犬の仇という大義があるなら、マフィアが数百人とやられていく様にもカタルシスが感じられたが、今回は「自分で蒔いた種感」が払拭できず、「ガン・フー」だけは見てて完璧な分だけ、余計にやり過ぎ感を煽り立て、暴力描写にだけ関して言えば、痛快ではなく苦痛レベルに達し、シリーズと発展していくには、陳腐な暴力映画に成り下がった続編だと思わずにはいられなかった。
けど、続編が気になるのは、どうしてだろう? 一匹狼となったジョン・ウィックの追い込み方が巧みなんだろうな。
(文:ROCKinNET.com編集部 ぴよ)
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