平成に入って仮面ライダーが大人の物になった。以前、「超英雄祭」というイベントで日本武道館に行ったが、親子連ればかりだと思っていた場内に20代を中心とする大人が大半を占めていたことに驚いた(自分は甥っ子連れ)。
そもそも、平成に入って改めて仮面ライダーをやるってなった時に、イケメン俳優を起用するという斬新なアイディアで、子供だけでなく、その母親もファンに取り入れ、仮面ライダーというコンテンツ自体が変わったと思った。
しかし、それも17年前になる。2000年に入って始まった仮面ライダーも“平成ライダー”と名付けられ、数々のスターが生まれた。しかし、新時代の仮面ライダーも、いよいよ最終章を迎える。そう、平成が終わるからだ。元号が変われば、また新たなフェーズに入っていくことだろう。やることは変わらないにせよ、平成を飾った仮面ライダーのシリーズが、ここにきて大きな転換期を迎えているのは間違いない。
現在2017~18年放送のビルドと、一つ先輩のエグゼイドを中心に話は進む。地球滅亡という単純明快な目的を持った悪役が出てくるのがいい。大槻ケンジのハマりようったらなかった。ただ、先でも言ったように、あまりに大人向けに作りすぎてる。話がややこしい。パラレルワールドがどうしたこうしたなど、複雑怪奇なシナリオは仮面ライダーのような勧善懲悪をやるには、少し過剰なサービスで、余計な疲労感と違和感が残る。もっと単純でいいのだ。その野望を打ち砕くために、ゴースト、フォーゼ、鎧武、オーズと、比較的、近年のライダーが集結する。
この映画では「なぜ仮面ライダーは戦うのか?」という“そもそも論”を観客にも投げかける。この視点は画期的だ。現役ライダーのビルドに出演している、もうひとりのライダーであるクローズが、戦う意味を問う。その答えは、英雄であるがゆえの宿命というところに収着する。それこそ勧善懲悪の基本であり、仮面ライダーの根本思想そのものであることを再認識でき、この上ないヒロイズムを感じることが出来るかっこいい映画に仕上がっていた。集大成としても完璧だ。
仮面ライダーはひとつの作品の中で何人ものライダーが登場する。若手俳優の登竜門となり、これまで実に多くのスターが生まれてきた。しかし、群雄割拠な芸能界に於いて、その誰もが、ライダー以降に役者として大成するとは限らない。どうしても、懐かしさが感じられてしまう。つい二年前のゴースト(西銘駿)を見てさえもだ。ライダー卒業した誰もがOB感が半端なかった。これって役者としては致命的なことである。常に表舞台にいなければならないから。
#仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL を観て感じたのは、歴代ライダーの中でも #福士蒼汰 だけはOB感が無かったこと。やはり俳優は現役感が大事だなと。どんなに売れても原点回帰する福士蒼汰偉い✨ pic.twitter.com/wfOSHzjcb3
— ROCKinNET.com (@ROCKinNETcom) December 10, 2017
ただ、福士蒼汰は違った。流石は時代を代表する売れっ子である。フォーゼ自体は、もう何年も前のライダーではあるが、なぜか現役オーラを感じる。戦隊も含めて仮面ライダー出身者は、そのイメージ脱却に苦労することから、出来る限り卒業後は作品と関わらないようにする傾向がある。そこを敢えて原点回帰した福士蒼汰の心意気というのは偉いと思う。まして、彼のように第一線で活躍する俳優が出ていることで、作品に箔が付いている。福士が出ただけでも十分に見る価値はある。
平成ライダーも佳境に入っている。今や大人のコンテンツ化した仮面ライダーではあるが、欲を言えば、英雄は、子供の憧れであることも見失わないでほしい。
(文・ROCKinNET.com)
※無断転載・再交付は固く禁ずる。引用の際はURLとサイト名の記述必須。
最新情報をお届けします
Twitter でROCKinNET.comをフォローしよう!
Follow @ROCKinNETcom
この記事へのコメントはありません。