この映画の最たる存在意義は、ジャニーズによる本格的な社会派であるということ、何よりも、日本のドラマ・映画界で初めてキムタクが汚れ役を演じたことであろう。これまで、木村拓哉という有無言わさない21世紀のヒーロー像は、絶対的な英雄で無ければ許されなかった。マイナス・イメージを植え付けることはタブーであった。NG大賞でさえもキムタクのNGは放映せず、他の共演者のNGばかり流されたくらいだ。SMAP時代のイメージ戦略は徹底していた。しかし、ここ数年のSMAP解散劇に伴うイメージ崩壊や、ジャニーズ事務所内の勢力図の変更など(嵐優遇体制)、様々な要因が関係してか、ようやくキムタクが英雄以外を演じるに至った。ここまでが長かった。いい男以外のキムタクが見れるのも、ようやくか!という感じである。
かつてキムタクは『HERO』でも検察を演じたことがある。キムタクという絶対的英雄が正義を貫徹するという、気持ちの良い程の、この上ないヒーロー映画であったが、検察が捻じ曲がった正義感を行使すれば恐ろしい結果を招くことにもなるという真逆の検事を、初の汚れたキムタクで見せたインパクトは相当だった。
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ただ演技は相変わらず“何をやってもキムタク”の域からは脱していない。だって、いきなり登場してポケットに手を突っ込んで、検事というよりもキムタク臭全開なんすもん・・・・・・(汗)
かつて『トレーニング・デイ』でデンゼル・ワシントンが初めて悪役を演じて、その圧倒的な存在感で初のオスカー主演男優賞を獲得したように、いつもと違ったイメージの配役の時にこそ役者の本領が発揮されるべきであるが、やはりキムタクは自身のキムタク像を崩せるには至っていない。代わりに、嵐の二宮の迫真の演技が冴えわたっていた印象を受ける。イーストウッドの『硫黄島からの手紙』に抜擢されて以降、なにかと演技派と言われるようになった彼だが、どうも腑に落ちなかった。けど、本作での演技は完全にキムタクも食っていた。
結局は、この映画の不幸を招いたのは、日本の司法制度が原因なわけで、キムタク演じる検事のかつての女性の知人が巻き込まれた事件の真犯人を別件の事件に貶めようとしたのも復讐劇であり、決して許されない捻じれた正義感ではあるが、根本には、少年法や時効制によって犯人が裁かれないという理不尽さがあるわけで。こうした現代社会では法律とヒトが思う正義感は、時として相反する不幸な事象が起こり得るという問いかけが根本的テーマとしてある。時代性にそぐわない、これらの法律や規則は何のためにあるのか。いよいよ議論に入るべき時が来ているのではないか。こういった人気者が出演したことで映画が注目を集めて、現にヒットまでしていることで、少しでも時代がこういった法律による矛盾に疑問を投げかける、大きなきっかけになったらいいなと思わずにいられない。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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