生まれて初めてアニメ映画で泣いた。
正直、ここまでとは思わなかった。
宮崎駿が引退した後、日本のアニメ映画は終焉を迎えたと思っていた自分が恥ずかしい。
感情が浄化され、全身の細胞が躍動するのが分かる。
文句なしで日本アニメ、いや、邦画の最高傑作と言っていいだろう!
御免、黒沢明!御免、小津安二郎!御免、北野武!御免、宮崎駿!
いや、鑑賞後の今の気分としては、本作と出会えた喜びで、そのくらいテンションが上がっているのだ。
まるで実写と見紛う完全な背景描写はジブリをも圧倒するレベルで
純粋な高校生の恋物語が、未曽有の自然災害と対峙する中で深みを増していくという相反する物語設定が絶妙なバランスの元で調和を保って、勢いあるグルーヴと共に展開していく。
宇宙や彗星を描くことで圧倒的なスケールを大画面で表現し、これまでのアニメ映画では到底感じることのできなかった映画的一大スペクタクルを画力で見せつける。
彗星がやってきたシーンは、まるで世界の絶景を見ているかのような錯覚に陥るほどの<凄味>があって鳥肌が立った。単純な美しさだけでは表現しようがない。
それが比較的、冒頭にある。その時点でこの映画が只者ではないと察した。
普通の高校生の男女が夢の中で入れ変わる、しかも入れ替わった時を過ごしている時間軸が3年間ずれているという、常人では達することのできない発想の素晴らしさ。
災害によって消えたはずの町に立ち、お互い存在しない時間空間でお互いを探していく様は、言葉もないくらいに素晴らしい。
この四次元的な設定が、よりロマンチックでファンタジーな恋愛物語を高めていく。
<今>いないはずの存在が相見えた時の感動は、どの映画でも感じたことが無い相当のものだった。
新海監督が自然災害を描いた理由は分からない。
しかし、否応にも我々には3.11の記憶が残っている。思い出さないわけにはいかない。その悲しみも、恐怖も、日本は知っていて、同時に立ち上がる勇気も体験している。
この映画で彗星の例のアレを予測できなかったように災害は突如やってきて、かけがいのないもの全てを奪い去る。
コメディタッチかと思っていた作風の空気感が一気に引き締まる。
そこで主人公は立ち上がる。
巧みな時間軸の設定と、架空ではあるが緻密に設定された如何にも日本独自的な地方文化の妙が集結される様は見事としか言いようがない。
RADWIMPS野田洋次郎の音楽も素晴らしいことは言うまでもないが、劇中での使い方が実に見事!
作品に対する感情をより高めるために、映画音楽はある。これは当たり前のことだが、ボーカル付の楽曲は時には作品を食ってしまうことがある。
この映画は、まるでミュージック・ビデオを見ているかのように劇中歌を効果的に使用している。ここまで相乗的に音楽と映像が使われている映画を見ることはなかなか出来ない。
ジブリが開店休業して制作も行っていない中で、その空席の椅子取り合戦で、ひょこっとヒットした訳ではない、新海監督の圧倒的な世界観とリアル描写、巧みな音楽使用と作品を大衆化させメジャーに伸し上げるプロデュース力で必然的に受け入れられた作品な気がする。
と、同時に単なる宣伝と口コミで興行収入100億円の大台を超えたわけでなく、正当な評価としてヒットしている、まさに30年に1つの名作であることを物語っている。
もはや日本はジブリを必要とぜず、日本のアニメは新海誠という天才によって新しい時代を迎えたと言って過言でない結論に達した。
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