風刺を許さぬ現代に三谷幸喜の才が冴え渡る!
特に今のご時世、音楽や映画の娯楽であっても政治を扱うことが非常にデリケートな物と化した。政権擁護派と否定派の“かったるい”論争に明け暮れる分断された日本において、三谷幸喜のような大衆作家は政治をどう描くのかに興味があった。
どんな政治思想の人間でも笑える、大衆喜劇として成立!
結果、絶妙だった。流石は三谷幸喜である!
ここ数年の映画は才能の枯渇を感じさせてきたが、特定の政治的見解に偏らず、かと言って小粋な風刺も忘れない、政界喜劇としての面目もほどほどに保っていた。今夏に公開され話題を呼んだ『新聞記者』のように小規模公開であるなら、あのように露骨な社会風刺をしても影響はたかが知れてるが、なんせ天下の三谷幸喜である。しかも、フジテレビ開局60周年記念作品の全国規模の公開作品。どの思想の持ち主にも、のんぽりにもウケなければならない難題を課せられており、それは見事にクリアできていた。小粋なギャグ満載で笑いは絶えない。
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浮世離れした設定こそ三谷喜劇の真骨頂!
それでも、自称右思想連中は「安倍政権を馬鹿にしてる」と批判し、自称左思想連中は「政権を批判するに至っていない」と批判している。バカバカしい。三谷幸喜は「政治ファンタジー映画」だと断言している。
国会中に妻に愛を叫ぶシーンなんか、完全にファンタジー。小泉進次郎が結婚報告を官邸内でやっただけで与野党からバッシングを浴びる現実と比較すれば一目瞭然。風刺どころか、SMクラブとか、息子の名前を間違えるとか、振り切ったコメディっぷりは喜劇作家の本領が垣間見れて嬉しい。中井貴一のコメディアンぶりも流石だ。佐藤浩市にせよ、この世代の俳優が元気と言うのは嬉しい。
とは言え、やはり映画は「風刺」がなければ退屈なんだ。けど、それは批判とは違う、そこを履き違えてはいけない、自称右さんも左さんも。表現は何かしら現代に対するメッセージがなければ、意味を成さないってことだ。
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映画は現代の世相を反映させる鏡
この程度の風刺で目くじら立てる方が野暮!笑
どう捉えるかは自由だが、序盤から中井貴一扮する総理が酔っ払いに絡まれ「馬鹿の一つ覚えのように消費税を上げやがって」と言われたり(総理もここは少しかすったと言ってるが)、ディーンフジオカら総理取り巻きが言う「マスコミにペラペラ喋る総理府人」ってのはバンビーナと会食してた誰かのことを言ってるのか、寺島進扮する大工が「大企業の法人税を低くする割に」と言ったり、中井貴一が「強行採決はもうしません」と謝罪するのは共謀罪のこと? 草刈正雄扮する官房長官が「国民は変化を求めていない」と保守層を小馬鹿にしたように吐き捨てたり・・・・・・結構やってる(笑)
けど、これはあくまで喜劇!
笑いを笑いで受け入れる観る側の度量が試されるってもんだ。冒頭で「劇中に登場する個人団体はフィクションで、似ていたら“たまたま”です」と宣言されては、これに怒るのは野暮ったらしいってもんだ。
「総理と呼ばないで!」のリベンジ成功だ。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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