アニメ映画というのは少なからず何か心に残るシーンと言うものがあろう。『ナウシカ』ならナウシカが王蟲の集団に蘇生されるシーンとか、『トトロ』ならメイとサツキの再会シーンとか。『君の名は。』だって、彗星のシーンや、二人が再開するシーンなどの名シーンがある。しかし、この作品にはそれが無い。
確かに、この米林監督は気の毒な人だ。長年、ジブリに貢献し、新進気鋭の才能として期待されるも、宮崎駿の引退宣言で、強制的にスタジオが閉鎖。映画制作が出来なくなる。ここで生まれるべきものが生まれなかったのが致命傷である。何かと言えば、ジブリに対する反骨精神、宮崎駿も鈴木Pも見返すほどの「コノヤロー」精神だ。これが持てなかった。実は、独立した米林監督を宮崎駿も、鈴木Pも気に掛けていて、アドバイスまでしているというのだ。結局、いい話なのである。こういう師弟関係じゃないが、自分とは離れた愛弟子をも想う親心みたいなものに、宮崎駿の寛大さを感じるし、それに応えようと、一大アドベンチャーを作り上げた米林監督にも拍手を贈りたい。ジブリは、独立した者を見捨てはしなかったのだ。ジャニーズ事務所ではないわけだ(笑)
米林監督は、宮崎駿の呪縛から解放され「子供に面白いと言われるものを目指した」と言うが、呪縛どころか宮崎駿の親心の中にいた。だからか、独立第一作目にして、残念なことに、ジブリの絵を模倣したパッチワークと揶揄されても仕方ないと思う。
既にジブリで観てきたようなキャラクターやシーン満載で、作品全体に既視感しかないことが否めない。この米林監督はとにかく中途半端なことが多い。『アリエッティ』で、主人公のアリエッティがネズミにだけは気を付けろと注意されるシーンがあった。おそらく、いざという時にネズミが現れて、アリエッティ達を困らせるのだろうと思ったが、単なる振りだけで終わった。娯楽性に欠ける失敗作だと思った。『マーニー』も、結局マーニーの正体が何なのか分からない抽象で終わった。幽霊なのか? 幻想なのか? 映画である以上は、抽象ではいけないのだ。アニメなら尚更。この『メアリ』も一般的な少女が魔法に出会うところから始まる。おいおい、そこからかよ。ハリポタの復習でもさせる気ですか? とウンザリする・・・・・・『魔女の宅急便』のように、既に非現実的な魔女が、リアリティ世界に存在する世界観を描けないのか。人間が魔法に驚くなんて、素人にも発想できる程度のチープな設定である。
それに主題歌が、SEKAI NO OWARIだったことにも合点がいかない。ジブリのような無名なミュージシャンの発掘が出来ない。知名度よりも、作品の世界観で楽曲を選べない。大衆バンドのタイアップ依存が垣間見えるのが、甘いと思った。
この作品の宿命でもある、どうしても往年のジブリの名作と比べられてしまうのは気の毒に思えるが(仕方ないが)、この作品が至らぬ点というのは、「ファンタジー引用の下手さ」「世界構築力の欠如」に尽きるだろう。大したスペクタクルも無ければ、手に汗握る展開も無い。どうも、劇中に出て来る、生き物を改良する機械の暴走を、原発事故と掛けているらしいのだが、分かりにくいし、メッセージ性としても弱い。宮崎駿のように一貫した「文明批判」「勧善懲悪の排除」など、揺るぎない作家性が無いのだ。(だからと言って、私は宮崎駿完全肯定派でもない。『千と千尋』も正直ずば抜けて優れているとは思えないし、『ハウル』や『ポニョ』においては、何がしたいのか分からず、駄作と言いたいし、『もののけ姫』で終わった作家だと思っているくらいだ)
だからこそ、まだ若い米林監督には夢を見させて欲しいと思う。いい意味で期待していたいと思う。
やっぱ、なんだかんで、この手の(もろジブリの)絵を見ると安心する。日本人は夏にジブリが見たいのだ。それだけで幸せなのだから。
(文・ROCKinNET.com編集部 ぴよ)
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