時代はリーマンショック後の不況にあえぐアメリカ。オバマ政権下。舞台はネヴァダ州。ラスベガスの高級カジノやホテルが乱立するかと思えば、州の大半を砂漠が占める都会と郊外が同居する州。主人公は、移民でもマイノリティでもない白人女性だが、街を支える工場の閉鎖により家を失い、必要最低限のものを車に積め、日雇い仕事を求め、ノマドに転身する。
マジョリティである彼女でも年齢を理由に都合の良い職に就けない。主人公に職は無いと告げる役所の言葉が、まるで、一度レールを外れると、元に戻るのが困難になるという現代社会の冷酷さをまじまじと観ているようで心地悪い。
ちなみに・・・・・・リーマンショック後に日本でもコンビニに不釣り合いな中年男性が増えたことがあった。好きでこんな仕事してない感丸出しのレジ対応されたのを今でも覚えている、その後、その人らがマトモなポジションに戻れたかは知る由もないが、特にリーマンショック後はバブル崩壊以上にハローワークに人が溢れたそうで、日本も変わらないところはあるように感じる。今もコロナ禍で若者がホームレスに陥る例が後を絶たない、過酷な現実があるという。
ただ、主人公は自分をホームレスではなく、「ハウスレス」と表現していたのが、僅かなプライドなのだろう。労働意欲もあり、何も世捨て人になったわけではないから。文明社会を捨て自然回帰していく『イントゥ・ザ・ワイルド』とは違うのだ。
むしろ、必要最低限の物と人間関係で生きている彼女の姿に、無駄な悩みを感じることはなく、清々しさすら覚える。この映画が、真面目にコツコツ働き、結婚して家を買い、家庭を築くという既成概念を根本から覆す先に描いたのは、「資本主義は果たして人に幸せをもたらすか」という強烈な皮肉だった気がする。
ただ、彼女はどこか寂しげだった。それは未亡人であるからではなく、老いの不安から来るものじゃないかと感じた。ノマドの大半が高齢者であることから、セーフティーネットが機能しない先進国の理不尽さと同時に、企業の利益優先の末に犠牲者が増え、どんどん格差が広がる現実を焙り出しているように感じた。『ジョーカー』でも『パラサイト 半地下の家族』でも、世界で「格差」を取り扱った映画が軒並み評価され続けているのも、資本主義の限界を感じた、今まさに現実で起こっている世界の不都合であるからだと思わずにいられない。これが、これだけ地味な映画にも関わらず、見事に「時代を切り取った」と評され、今年の賞レースの中心にいる理由とすると合点付くだろう。
印象的だったのが、ふとしたことで主人公の皿が割れたシーン、何の意味も持たないシーンなのだが、瞬時に、すぐ片付けて新しい皿を買うなり、物々交換するなり、貰うなりすればいいと思ったのだが、主人公は接着剤で直したのだ。結局、世俗的な価値観を捨てるということは、こういうことなのだ。消費が正義である世界に生きる私の中で何か気付かされることはあった。
マクドーマンドが本物のノマドの方々と肩を並べて溶け込んだ自然体の演技を見せていたのも素晴らしい。何よりも、スクリーンに広がる広大な空や、砂漠、岩場などの大自然が荘厳で美しかった。俗物に囲まれて、無駄な悩みを抱える自分が愚かに見えてくる。淡々と描かれる「何もしないをする」ノマドたちの姿は、自由なようで不自由、清々しいようで物寂しく、鑑賞後には答えのない問いを投げかけられた気持ちでいる・・・・・・
(文・ROCKinNET.com編集部)
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