スーパー戦隊の映画といえば夏は30分、冬は60分以内で終わることを考えると、少々もたもたし過ぎな感じがした。もちろん、あっさり過ぎてもハリウッドの面目が保てないというのもあるのだろう。ヒーローたちの事情を深く掘り下げた青春映画として成立させ、日常では冴えない、はみ出し者たちが一躍ヒーローになる様は、まるで『スパイダーマン』や、少し毛色は違うが『グーニーズ』『glee』のような逆転劇が垣間見れて爽快だった。
また、五人のキャラが、白人男性、黒人、アジア系、レズビアンと多種多様性に富んでいることも現代的でいい。ま、白人男性がレッドなのも、アメリカだけど、人種的なことでとやかく言ったらキリが無いのでここでは避けよう。
最近の戦隊はキャラクターへの好感度、愛着が人気を左右すると言っても過言ではない。『ニンニンジャー』の天真爛漫なタカ兄もだし、『ジュウオウジャー』のネガティブ・キャラのみっちゃんも強烈だった。
そういうキャラへの愛着は、一年間かけて育まれるもので、最近では戦隊俳優のプライベートがSNSで配信されるなどもして、まるで、スーパー戦隊というひとつのサークルを皆で盛り上げているような状況だ。ただ、これらは二時間ちょっとの映画で生まれない。だからこそ、『パワーレンジャー』には、あそこまで各々の人物像を掘り下げる必要性があった。あれは成功だと思っている。(レッドはアメフトのスター選手から挫折し、ブルーはいじめられっ子、ブラックは母親の看病に苦心し、イエローはLGBTなど・・・・・・)
ただし、ヒーローに変身するのに理屈は要らない。
ハリウッドの悪い癖。「手裏剣変化」「本能覚醒」「スターチェンジ」のひと言でいいのだ。あれはモタモタし過ぎに思えた。あと、気になったのが、司令官?のおじさん(ゾードン)が、壁だったことだ。独自のキャラクターを作り上げるのは日本が優れていると言われている。例えるなら、渡辺謙の『GODZILLA』でも、ゴジラと闘う怪獣の造形が、あまりに陳腐だったように、この『パワーレンジャー』でも、司令官が壁って言うのも、あまりに芸が無い。現在放送中の『キュウレンジャー』でも、司令官ショウロンポーのような、多様な着ぐるみ(?)が出ているが、ああいうキャラ造形の発想はアメリカ人には出来ない、それが如実となった例だと思う。
変身後のまるで『トランス・フォーマー』を彷彿とさせる、ド派手なアクションは、当然、日本のスーパー戦隊の比ではない(日本のもあれはあれで良い)。ハリウッドが本気でスーパー戦隊をやると、こうも迫力があるのかというのを実際に目に出来ただけでも十分に嬉しい。続編が楽しみである!
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