劇中薄らとは感じていたけど、エンドロールでセックス・ピストルズが流れたことから、この映画が意味するパンクはニヒリズムなんだと確信した。
しっかし、趣味嗜好の問題はあるだろうけど、つまんね~映画だったな!
アナーキーな作品気取って、題名にパンク名乗って、ピストルズ流すなら、反体制的な一発でもかましてやれって。今の政権なんてパンク的な視点で見ればネタの宝庫だろうが! パンクのイデオロギーは多くの場合、個人の自由と反体制的視点に関係しているもんだろ?
話力の無い原作者の責任か? アナーキーな話を大衆娯楽作に見せかけた製作側の責任か? ま、映画なので、監督の責任ですわな? 滅茶苦茶具合が石井岳龍らしいなんて、“こういう非王道的なの分かる俺って通でしょ”みたいな、サッブイこと言いませんよ、俺は・・・・・・
原作が大衆娯楽的ではないと言ってしまえばそれまでだ。
それでも、原作に忠実に映画化されている(らしい)本作を、クドカンが得意の“現代的な言葉”を多用した台詞が取っつき易く好感度を高くしている。
けど、出来上がりはシュールこそ独自性と勘違いした悪ふざけの領域。
こういうのって、もはや単なる利己主義でしかない。松本人志の映画みたいだった。もう、拷問以外の何者でもなかったなあ。
猿が喋って、人間と戦をして、変な宗教が暴走するとか。自分で話の収集付けられていないのが、表現としての責任を感じなくて許せなかった。書籍で読めば楽しい話なのかな? いずれにせよ、配給側も全国330館で公開するに相応しい原作なのか否かくらいの選別眼を持てよって思った。浅はかだな~ってね。
「流行に飛びつき、行列が出来れば思想も無く並び、それでも自分だけはユニークだと思っている」という大衆文化批判とか、宗教のマークが書かれた旗の寄せ書きに「○○様のお陰で楽しい思い出が出来ました。また来年も来ます」ってフェスかよ!(笑) こういうクドカンらしさに救われている。
来年2019年に東京五輪の時代を描き、初めて大河で現代劇をやることに大きな期待をしているが話力と時代性を鋭い始点は健在のようで安堵する。
どんなにアナーキーな映画でも鑑賞に耐え得る演技力を発揮した綾野剛は本当に真の役者だと思う。超絶アクションに圧倒され、シニカル/コミカル両面の演技も魅力的。同世代に彼のような才能ある役者がいてくれることは誇りだ! トヨエツも意外な表情を見せるし、演技派のクセモノ役者が映画に箔を付けていた。ただ、あまりに酷い話の展開に出ている役者が気の毒に思えた。滑っているコメディを全力で演じなければならないことほど演者にとって辛い罰ゲームはない。役者に失礼ですから。
綾野剛なんて彼のキャリア史上最も怪我をしたってほど過酷なアクションだったというほど体を張っていたわけで、確かにカッコ良かった。プロだなと思った。綾野剛、本当に素晴らしい役者だ!
(文・ROCKinNET.com編集部)
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