出来そうで出来ないがSF映画のリアリティ
この手のSF映画を許容できるのは「いつか現実世界でも起こり得る」かも知れないと思わせられるか否かに掛かっていると感じた。ニコラス・ケイジとジョン・トラボルタが顔面移植する97年の『フェイス・オフ』や、ケヴィン・コスナーとライアン・レイノルズの記憶だけを移植する16年の『クリミナル 2人の記憶を持つ男』なんかがソレ。両方とも実現不可能であると分かっていても、科学の進歩と共に近未来では出来る“かも”しれないと思わせる、この微妙なリアリティとファンタジー性にSFの面白みがある。
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そんな簡単に人間のクローンなんか出来るかッ!
しかし、この映画にはソレが無い。そもそも取り上げているクローン問題は22年前の話だ。当然、人間のクローン実現は技術的・倫理的な議論の中されていないが、97年に羊で成功し、18年は猿でも成功している。夢物語感が薄い。ましてや、人間の複製が簡単過ぎる。アミノ酸とかそんな簡単なもん混ぜるだけで人間なんて複製できるかッ! 「ねるねるねるね」じゃあるまいし! あまりの荒唐無稽な展開にファンタジーとしての軽薄さにも及ばない適当さ、無責任さが感じられて興醒めする。
キアヌの大根っぷりに戸惑いを隠せない・・・?
加えてキアヌの大根ぶりにも驚いた。この人、こんなに演技下手だったっけ? 最近では『ジョン・ウィック』の好演が記憶に新しいが、本当に使い方次第の俳優だと感じた。
倫理観を捨て、家族をクローンで取り戻そうとする人間のエゴや愚かさを描き、人間の心は電子回路ではないことを訴えかけるテーマ性にも関わらず、まだ“仮想現実(マトリックス)”にいるのか?と思うくらいの棒読み台詞。生身の人間の体温が感じる演技では無かった。何より、クローン製造に関しても、何にしても、主人公には葛藤が無いのだ。そんな安易に進むべきことなのかと。キアヌにそういう繊細な表現ができるほどの演技力が無いのか。胡散臭い世界観のまま何の説得力も無く観客を置いてけぼりで、訳も分からず物語は進んでいった。B級と片付ければ簡単ではあるが、下らな過ぎて何の味もしない噛み過ぎたガムのような感じの映画だった。
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(文・ROCKinNET.com編集部)
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