こういう映画は興収的なヒットも見込めず公開から1~2週間で上映も終わってしまうと思い、急いで公開初週に子供を連れて観に行ったが、劇場は超満員。上映後のグッズも長蛇の列を成し、蓋を開けてみれば、昨年の『カメラを止めるな』や、今年春の『跳んで埼玉』に続く、2019年で最もの番狂わせな映画ヒットであった。
なぜ、ここまで我々は「すみっコぐらし」に引かれたのだろう?
パステル調の柔らかいタッチの絵、幼き頃に見た「まんが日本昔ばなし」のような分かり易さと安心感もさることながら、キャラクターへの共感性が最も大きいと感じる。
寒がりのしろくま、自分に自信がないぺんぎん?、食べ残されたとんかつ、飲み残されたタピオカ、恥ずかしがり屋のねこ、本当は恐竜なのに正体を隠すとかげなど、ネガティブな性格が実に現代の日本人を象徴しており、そんなマイナス思考な部分に、どこか好感が持てる。
[PR]
就職の面接時に短所よりも自分の長所を堂々と言うことができなかったり、負け組、コミュ障、ヘタレ、腐女子、メンヘラなど己を自虐的に捉えた呼称も実に多く、その方が「謙虚」と見なされ周囲からの好感も得やすいと感じる。電車の座席も端から埋まり、大学の講堂も後方に偏りがち。そう、わたち自身がすみっコぐらしそのものに思える。SNS全盛期、人間関係も複雑化する中で「癒し」を求める現代人の象徴なのだ。
そんなネガティブなすみっコたちが、絵本の世界に迷い込み、ちょっとした冒険を展開する。この「ちょっとだけ」というのも重要。大袈裟な展開も、派手なアクションも不要、すみっコたちは決して喋らず、劇中はナレーションだけで成り立っている。やり過ぎない加減が癒やされるポイントである。
また、すみっコたちは、ネガティブながらも、決して排他的な在り方を選ばない。だから、この映画でも、絵本の世界で出会った孤独に生きる「ひよこ」に寄り添おうとする。そんな友好的で情が深い部分にもホッコリする。
自分が何者か分からないひよこは、やっと出来た仲間によって活き活きしていくが、実は、自分が絵本の落書きに過ぎないと過酷な運命を知ることになる。しかも、落書きは絵本の世界から出ることはできない。結局は孤独な運命であることの切なさに心が痛む思いだった。けど、すみっコたちは、元の世界に戻ってから絵本の白紙のページに絵をかいて、ひよこの友達やお家を作ってあげる。そんな優しさに涙腺が緩む。癒やし系キャラの映画としては至極真っ当なハッピーエンドだと思う。
現代人は孤独で居場所がないと言われている。けど、意外に近しいところに自分の居場所や存在意義はあるのかも知れない。それが、すみっコであってもだ。他者や異物(この映画でいうひよこ)を排除せず、寄り添う気持ちが大事なんだろうと感じた。
(文・ROCKinNET.com編集部)
※無断転載・再交付は固く禁ずる。引用の際はURLとサイト名の記述必須。
[PR]
[PR]
最新情報をお届けします
Twitter でROCKinNET.comをフォローしよう!
Follow @ROCKinNETcom
この記事へのコメントはありません。