薄っぺらい映画だった。奥田民生に憧れる理由は凄く共感できる。自由奔放で放浪的なイージューライダーの価値観に共感するって、一種の悟りにも近い心地良さで、最近多いMLMとかネットワークビジネスとか、背伸びして似合いもしないスーツやドレス着て、見知らぬ人間と偽りの笑顔でインスタ投稿・・・・・・不自然で気味の悪い生き方こそダサくて、ありのままで脱力感で心地良いことだけ追い求めたい、現代社会に自ら敢えて背く生き方をカッコ良いとする価値観。でも、うまくやりぬくウィットと賢さがある。都合が良いように聴こえるかも知れないけど、民生に憧れる根底には、そんな価値観がある。
放浪的で自由求めて奥田民生になりたいボーイが増えてるらしい。俺も20代の時には思ってた。けど、民生ほど色々背負って働きまくってるミュージシャンもそういないという事実に気付いてから、民生になりたい理由が変わった。社会人として尊敬するって意味。#奥田民生 #奥田民生になりたいボーイ
— ROCKinNET.com (@ROCKinNETcom) September 15, 2017
でも、奥田民生ほどワークホリックな人もいない。2008年の全国ツアーで三郷の市民文化会館でやったライヴでは40代にしてギター技術が向上してて驚いたし、ソロ活動で全国まわる中、ユニコーン復活させちゃうし、ROCK IN JAPAN皆勤賞の希少なアーティストだし、毎年12月に武道館で行われるジョン・レノン追悼ライブなど、大きな邦楽イベントには必ずいるし、あの奔放さって、レコード会社や関係各所に相応の信頼と実績を経ているから許されるものなんじゃないかと思うわけで。20代の頃は表面的な民生像しか見えてなかったけど、30にもなれば、それが分かるんで、この映画も、もっと民生の奥深さが垣間見えるのかなと思っていたら、ただ、民生に憧れた男が、場末のキャバ嬢のようなビッチに振り回されるだけの内容で心底ガッカリした。
民生に憧れるって世代は正しく自分と同世代が多いと思う。この映画の主人公も33歳だった。ユニコーン全盛期を知らなくて、小中学生でソロ転向して、間もなくしてPUFFYなんかを成功させちゃって、それから何となくずっと知ってる感じ。そんな世代って、就職難でロスト・ジェネレーションなんて言われて、バブルの恩恵も知らずに、混沌とした20世紀と21世紀の狭間を多感期に過ごした世代。そんな時代の中にあっても《なにもそんな難しいこと / 引き合いに出されても》なんてケセラセラと歌い捨てる民生に惹かれる。
滅茶苦茶な時代性に相反するからこそ奥田民生の性分に憧れる。この主人公である「奥田民生になりたいボーイ」を、そういう世代の象徴として描いてくれるのかなと思っていたんだけど、この監督はそこまで何かを突き詰められるほどの技量が無いようだ。
かつて民生は「マシマロ」なんてタイトル付けておきながら、歌詞は全然マシマロと関係ないと歌ったことがあるが、この映画然り、奥田民生は全然関係ない。なんなら、斉藤和義でも、吉井和哉でも良かった。こんな映画に引っ張り出された民生が気の毒過ぎる。
なぜそうなるかって、この大根監督って前から揺るぎない思想とか作家性がないからに他ならない。人間性の軽さが如実に作品に表れている。『SCOOPE』なんかを例にすれば、文春とか芸能人の不貞ばかりが取り扱われて、ジャーナリズムが危惧される昨今においても、報道ってどうあるべきかとか一切主張できない軽薄さ。中身がないのがポップ・カルチャーだと思ったら大間違いだから。それこそさっきから述べている民生論“軽いようで軽くない”を、監督自身が学ぶべき。演技が下手な役者を大根役者というけれど、この大根(オオネ)監督は苗字の通り、大根(ダイコン)監督だって思った。
ま、あまり攻撃してても仕方ないけど、水原希子を可愛く撮っただけでも良しとしとこっか。
(文・ROCKinNET.com)
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