完璧なラストだった前作に泥を塗る駄作?
第一作目はアニメ界の革命だった
世界的に愛されるシリーズの最新作。
しかも、あれだけ完璧な締め括りをした続編であるからには相当のアイディアで勝負を仕掛けてくると思ったが、見事に裏切られる。95年の第1作目は世界初のフルCGアニメとして映画史に残る傑作であり革命でもあった。CGで長編アニメを作る前代未聞の挑戦は、完成までに想像以上の苦悩と労力を要したようだ。しかし、完成物はCGで長編アニメ映画を作っただけに留まり、肝心のストーリーが面白くないと気付き、大幅に修正をしたことを、ジョン・ラセターが発言していたのが印象的だった。そこまで徹底したイズムをなぜ本続編は引き継げなかったか?
本作の最もしてはいけないミスとは?
何よりバズ・ライトイヤーをはじめとするお馴染みの面々が完全に脇役以下の付属品扱いなのが致命的。長期にわたって愛着のあるキャラたちの雑な扱いにはガッカリした。その代わりに今回スポットを浴びる新キャラが、使い捨て先割れスプーンで作られたフォーキーで、彼は自分がゴミであると信じ込むため、何かとウディに世話を焼かせる様の連続が正直イラつく。どことなく『ファントム・メナス』のジャージャー・ビンクスを観た時の苛立ちに似ている気がした。魅力を感じないのに話の中枢を担うキャラを通じて感じる制作サイドとの温度差。
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そのフォーキーを救う過程で骨董玩具屋に迷い込んだ際に、気味の悪い腹話術人形たちに襲われるというサスペンス的風味が増し、今までになかったトイストーリー像を提示してくれたことで、高い娯楽性もkeepできていると思われる。
しかし、やはり方向性には疑問を感じずにはいられない。
ウディの正義は正義とは言えない!
この腹話術人形たちを手下に操るギャビーギャビーという女の子の人形は(ウディの背中にもある紐を引っ張った時に出る)音声機能が壊れていた。だからウディの音声機能を奪おうとするサイコパスな悪者だけに共感は出来ない。しかし、結果、ウディは人質に取られたフォーキーと引き換えに、彼女に音声機能を渡してしまう。ただ、それは正しく偽善的であり、自己犠牲やヒロイズムではないと思う。何も献身してない。生存中の臓器移植ほどの馬鹿げた行為のような気がする。
仲間や絆がテーマだったはずのシリーズで簡単に仲間を捨てる主人公
同時に「俺のブーツにはガラガラヘビ」や「あんたは俺の相棒だぜ!」といったウディの象徴である音声を明け渡すことは、ウディがアイデンティティや相棒をも捨てたことを暗に表してるようにも思える。彼はアンディやバズと何を培ってきたのか? 現にウディは仲間から離れ、恋仲?のボーと行動を共にする決意をする。ウディにとっての仲間とは、そんなもんだったのか。このシリーズの根本的テーマである「絆」は、そんな薄情だったのか。主題歌「君はともだち」で《俺がついてるぜ(中略)思い出せよ ともだちを/君のすぐそばに/いつも俺がいる》という歌詞すら胡散臭く聴こえてくる。
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玩具は玩具として子供のために尽くすという確固たる信念を、たかが玩具が十年以上も持ち続けたことに感動を覚えたのに、典型的な色褪せた恋愛成就に落ち着くんじゃ後味悪い。あれだけ前作『3』で完璧な締めをして、わざわざ駄作で蘇らせ世界中のファンを失望させた罪は重い。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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