昨年末の「ガキの使い」の毎年恒例の特番「笑ってはいけないアメリカンポリス」の冒頭でダウンタウンの浜田雅功が顔を黒塗りで出てきたことに批判が集まっていた騒動が、遂には英BBCや、アメリカのNYタイムズ誌など世界的な大手媒体が報道する事態となり、国際問題に発展する可能性もあると洒落にならない事態になってきている。
個人的な見解を言えば、世間が騒ぎ過ぎ
個人的な見解を述べるとしたら、今回の黒塗り騒動は世間が騒ぎ過ぎ!
例えば、とんねるずの保毛尾田の件も、バラエティ好きな筆者から言わせて頂ければ、お笑いと片付けてしまえばいいとは思ったものだが、とんねるずの場合は明らかにLGBTを卑下する言動のもとに成立した笑いであったため、時代性を考慮すれば、ああなっても仕方ないかなと思ったりもしたが(どこの団体だか知らないが抗議の執拗さは異常だったとは思う)、今回の浜ちゃんの黒塗りは黒人そのものを卑下する意図は全く無いのは明らかだった。
今回の黒塗りメイクは、名作『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィーの仮装である。所詮は仮装。黒人を馬鹿にした発言もなければ、ジェスチャーも一切ない(※ここ肝心)。ただ、浜ちゃんは「ガキ使」の中で何かと風変わりな格好をさせれば面白いという暗黙の了解があって、“オチ”として使われた過ぎない。設定がアメリカンポリスでなければ、女装でもいい程度のもので、黒塗りメイクは、当然ながら黒人全体を揶揄したものでは決してない。スカジャンも着てたし、明らかに『ビバリーヒルズ・コップ』のキャラの扮装であると誰が見ても分かる状態だった。ましてや、エディ・マーフィーはコメディアンだ。芸人が芸人の真似をして騒動化するなんてバカバカしい。これでは、ハロウィンの仮装すら許されなくなるのではないか? この程度のメイクアップで、白人警察官による黒人への暴力が絶えない国から「差別だ」と、指摘される筋合いはあるのだろうか?
ただ黒塗りメイクの正当性を擁護するつもりはない
ただ、しっかりと明言しておきたいのは、黒塗りメイク自体が問題ないと主張する気は一切ない。筆者も立派な差別行為だと思うからだ。
多人種が顔を黒く塗るお笑いがアメリカで問題になるのは、南北戦争前の南部で白人が黒塗りでジム・クロウというバカで姑息な黒人を演じて笑わせて黒人の劣等イメージを形成し、それを基に奴隷解放後の選挙権剥奪と人種隔離が行われて100年も権利を奪われた歴史的被害があるからです。
— 町山智浩 (@TomoMachi) January 5, 2018
もちろん、今回の黒塗りメイクを、在日の黒人の方が見て気分を害したとすれば、配慮も必要ではないとは言えないが、今回のは、あまりに差別的な意図や悪意ある言動がないのだ。格好をしただけ。顔を黒く塗ったという行為自体に問題があるにせよ、最低限の寛容性がなければ、あまりに角が立ち過ぎるというのは、保毛尾田での抗議時に起きた「ゲイって面倒臭い」のように、抗議している側に非難の矛先が向かう可能性すらあるのではないかと感じる。
そしたら、ラッツアンドスターはどうなるのだろうか? 鈴木雅之はドゥーワップはじめ黒人音楽家への憧れから、ああいった黒塗りメイクをしてサングラスをした。実は、2015年の「ミュージックフェア」で、彼らが出演した際、共演者のももクロも黒塗りメイクをし、これがオンエア前にSNSで発覚し非難を浴びたことから、放送はされなかったことがあったらしい。黒人ミュージックへの敬意であるはずのラッツアンドスターの黒塗りでさえ許されないというのは、何とも皮肉であると思うし、それこそ行き過ぎた被害者意識、コンプライアンスの暴走なのではないかと思う。
黒塗りメイクに因る差別の歴史はあったが果たして悪意あるそれらの行為と今回とを同列にしてよいのか?
今回の騒動で、黒塗りの歴史すら掘り返されている。次の引用は白人による黒塗りメイクと黒人差別を助長してきた大衆演芸の歴史を振り返ったものであるが、これを今回の浜ちゃんの件と重ねるには些か大袈裟過ぎないかと思うのだが、どうだろうか?
19世紀、アメリカで流行した「ミンストレル・ショー」と呼ばれる大衆演劇がある。(中略)このミンストレル・ショーは〈黒人の無知や無知から来ると思われていた明るさを笑いものにした〉芸風で、〈二十世紀の中頃のテレビ・映画のなかの黒人イメージにまで色濃く影響を及ぼしたと言われる〉ものだ。〈当初は白人が顔を黒く塗り黒人奴隷の服装をして、黒人の「愚行」を演じていたが、それはあくまで白人が望んだ範囲での黒人の愚かしさであったり、白人の主人への忠実な奴隷像だったりした。またこの中で唄われる「ニグロ・ソング」も、同様に当初は白人の想像上の産物であって、黒人の実際の心情を反映されたものではなかった〉
引用:http://lite-ra.com/2018/01/post-3718.html
「ガキ使」ばかりを責めるのは矛盾している
浜ちゃんの黒塗りはNGで、『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』(2008年)で、ロバート・ダウニー・Jr.が黒人を演じて、アカデミー賞やゴールデングローブ賞はじめ世界の主要映画賞にノミネートされたのは何故?どこに違いがあるのだろうか? #ガキ使 #黒塗り #笑ってはいけない #浜田雅功 pic.twitter.com/ALmOWFdBFy
— ROCKinNET.com (@ROCKinNETcom) January 8, 2018
国際的に今回の黒塗りを「ミンストレル・ショー」と同じというなら矛盾が生まれる。ハリウッドでも同じようなことをしていたではないか。しかも最近の話である。2008年の『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』で、アイアンマンでお馴染みのロバート・ダウニー・Jr.は白人俳優にも関わらず黒塗りをして黒人を演じ、評判を得て、オスカーを始め、ゴールデングローブ、英国アカデミー、全米映画俳優組合、シカゴ映画批評家協会など、世界的に権威ある賞に、助演男優賞として軒並みノミネートされた。この黒塗りは許されて、浜ちゃんの黒塗りは許されない? 筆者には、この差が分からない。ロバートの芸達者ぶりに感心するも、やってる行為としては同列だ。
やはり冴えわたるスタンダップ・コメディアンの才能
保毛尾田の時に意見したが、差別的な冗談を言えるのはLGBT当人であれば問題は無いと言ったことがある。異性愛者の石橋貴明が青髭で「噂なのぉ~❤」なんて言うから角が立ってしまう。これを、レズビアンであることをカミングアウトした米国で最も有名な司会者エレン・デジェネレスが「ハリウッドなんて同性愛者と黒人とユダヤ人がいなければ成立しないよ」と発言すると、ウィットな冗談になる。スタンダップ・コメディアンの力量だと感心する。これは、2016年のオスカーで司会を務めたクリス・ロックにも同様のことが言える。あの司会はうまかった。白人俳優しかノミネートされなかったことで大きく問題視された時である。これを自虐含めて、冗談にしたのだから凄い。
ウィル・スミスもノミネートされなかった。フェアじゃないよね。彼の演技は、すごく良かったのに。でもウィルが「ワイルド・ワイルド・ウエスト」で2,000万ドルのギャラをもらったのも、フェアじゃないさ。
毎年黒人が候補入りするようにしたいなら、黒人部門を作るべきだ。すでに男と女を分けているじゃないか(笑)
僕らは、チャンスが欲しいだけ。黒人俳優にも、同じチャンスを与えてほしい。ディカプリオは、すばらしい役を毎年もらう。ジェイミー・フォックスは、『Ray/レイ』であまりに素晴らしかったから、病院が本物のレイ・チャールズの治療の管を抜いたんだよ、「ふたりはいらない」ってね(笑)
アメリカに因る日本人差別もあるでしょうが?
https://twitter.com/ROCKinNETcom/status/949268984423096323
ましてや、アメリカは黒人差別だけではない。アジア(黄色人種)、殊更、日本に対しても差別的表現をしてきた。今回の騒動を受けて、すぐさま、オードリー・ヘップバーン主演の名作『ティファニーで朝食を』(1961年)のミッキー・ルーニーを思い出した。彼は当時、釣り目の出っ歯メイクで日本人を演じていたが、あれは太平洋戦争後に形成化された敗戦国日本に対する差別的な反日イメージである。
浜ちゃんの黒塗りが国際的な問題になってるけど、アメリカ人に根深く残っている、チビ・ハゲ・眼鏡という日本人のネガティヴ・イメージを、そこはかとなく描く『ロスト・イン・トランスレーション』も差別的だと思うのは駄目?このイメージって太平洋戦争で負けた日本への反日プロパガンダなんだよな。 pic.twitter.com/RiOcTjhkN9
— ROCKinNET.com (@ROCKinNETcom) January 8, 2018
そして、実はそんな日本人のイメージは21世紀以降もアメリカ人の無意識の中に根付いていることを証明したのが、名匠コッポラ家の娘、ソフィア・コッポラ監督作品『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)である。主人公であるビル・マーレーが乗るエレベーターの中に眼鏡をかけたハゲで背の小さな日本人ばかりを乗せるとか、日本を舞台にしておきながら「わざわざdisりに来たのか?」と言いたくなる描写が記憶に残っている。ま、日本も他国同様に可笑しな部分もあるだろうが、他国の映画監督に馬鹿にされる筋合いも無い。
黒人だって差別はする
ただ昨年2017年のオスカー作品『ムーンライト』を観ても分かるように、黒人が完全な被差別側とも言い切れない。黒人の差別意識もある。実際に2008年の調査であるが、人種、宗教、性的嗜好などマイノリティを対象にしたアンケート調査で、黒人差別意識が49%だったのに対し、イスラム教は60%強、LGBTが最も高い65%だったことが明らかになった。黒人が別の有色人種だったり、宗教だったり、LGBTを差別する可能性もあるということである。その事実を置いて、一側面だけでは、今回の議論も進めてはならない。
黒塗りよりもベッキーへの暴力行為が問題だ
個人的には、黒塗りよりも、ベッキーに対する罰ゲームを「禊」と表現したことの方が違和感を抱いていて、不快だった。日本のテレビ界では女芸人も体を張るが、ボクサーから蹴られるなどの暴力行為は、実はあまりしない。そもそも、ベッキーは法律を犯したわけではない。のりピーでさえも復帰はもっと早かったことを思えば、本当に不可思議だ。あれで、完全にベッキーの芸能界のポジションを保証するというのであれば、禊にはなるが、ならないだろ? 一方で、川谷絵音(ゲスの極み乙女)は大手芸能事務所(田辺エージェンシー)に移籍してから、やたらとメディア露出が増え、不思議とメディア内で擁護の声も増え、音楽活動も復帰し、フェスでは最も大きなステージに抜擢され、数万人規模の聴衆を前にライヴをしているのに対して、あまりに差があるのが腑に落ちないし、こっちの方が女性蔑視のような気がして、問題視すべきだと思うのだが?
(文・ROCKinNET.com編集部)
※無断転載・再交付は固く禁ずる。引用の際はURLとサイト名の記述必須。
出典参考
http://www.afpbb.com/articles/-/3139133
http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/05/
gakitsuka-black-face-bbc-nytimes_a_23325586/
https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/
20160302-00054968/
http://genxy-net.com/post_theme04/7232217l/
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