世界中で賛否両論を巻き起こしているボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞。
オフィシャル・サイトで「ノーベル文学賞受賞者」との一文が記載されたが、週終わりには削除。受賞決定後、徹底して沈黙を守り続けているため推測レベルの話しか出来ないのだが、この沈黙こそディランの態度として最も真っ当(らしい)と思う。
その沈黙を続けていることに対し、選考にあたったスウェーデン・アカデミーのメンバーは「無礼かつ傲慢だ」とディランの態度を批判。その文章に続けて「それでこそ彼だ」と理解あるコメントもあったらしいが、無礼や傲慢と言った時点で説得力が薄れる。
しかし、ディランにとって権威や賞は何の意味も成さない。彼は生粋のミュージシャンであり、表現者であるからだ。余計な感情やコメントを期待する方がよっぽど野暮であることに気付いていないのだとしたら、最もディランを理解できていないのは、スウェーデン・アカデミーそのもので、一方的に権威の押し付けをしている時点で、どちらが<傲慢>なのかと疑問になる。
反戦・反体制の象徴であるソングライターが、ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベル創設の賞を素直に受け取るはずがないというのは些か容易で安直な推測に思える。彼にとってはそんなことすらどうでもいいんだろう。彼の<詩>の評価は世間の反応に過ぎず、ディランは自身をミュージシャン以上であると位置付けてるはずもない。ディランにとっては、この受賞に関わる賛否・喧騒こそ不快なのだ。
12月のセレモニーにふらっと現れては、余計な言葉も言わずに去ってこそディランだと思うけどな?
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