黒人女性活動家がブルーノを物真似歌手と大批判!
2018年3月アメリカでは、グラミー賞の主要部門を独占したブルーノ・マーズに関する話題が賛否両論の激論を巻き起こした。事の発端は、黒人文化や社会問題についての若い黒人たちによる討論会をアップするYOUTUBEのチャンネルで、黒人女性活動家/ブロガーの女子学生が「非黒人のブルーノ・マーズが黒人音楽をやるのは文化の盗用だ!」と、ブルーノ批判を始めたことにある。これに、ファンを始めとするブルーノ擁護派は「彼は才能がある!」と反撃、大炎上にまでなる騒ぎになった。
この騒ぎに、大御所のスティーヴィー・ワンダーが「くだらない戯言だ。ブルーノは才能に溢れている。」と擁護したことで、騒動は表面上は沈静化した。
何故、先述のYOUTUBEチャンネルでブルーノが槍玉に挙げられたかと言えば、彼の3rdアルバム『24K MAGIC』が、ポップ色が強かった前2作と比較し格段にブラックミュージック色が強いものに変化したこと。また、それがグラミーを独占し、特に黒人アーティストが受賞する傾向の最優秀R&Bアルバム賞/最優秀R&B楽曲賞などの全てで受賞してしたことに起因すると想像される。
ブルーノの芸風の転機「Uptown Funk」
私が思うには、ブルーノの芸風が変化したのは間違いなく、マーク・ロンソンの「Uptown Funk」の成功に因るものだと思われる。キャッチーなメロディで人気を博し、楽曲は2014年から翌年に掛けて世界中で大ヒット。ブルーノの名義では無いものの、ボーカルを務める彼の代表曲となった。このスタイルを継承する形で作られたのが『24K MAGIC』で、これも大衆ポップ作品としては凄く良い作品であった。そういう私も個人的見解を述べれば、ブルーノがグラミー賞を獲ったことには疑問が残っているが。それと、今回の議論は全く別物と思っている。
アメリカの黒人差別の歴史が生んだ被差別意識
先の女子学生はプエルトリコ系の血筋を持つ非黒人であるブルーノが黒人音楽を「完コピしただけ」と非難。また、ブルーノが世界的な成功を収めたのは、白人リスナーが「非黒人による黒人音楽」を好むからだとも主張。この主張に賛否両論が起こった。非黒人が黒人を真似るものが広く受け入れられるという、過剰な被害意識とも捉えられる主張をする背景は、差別的表現に対する嫌悪感に他ならない。その根源は、白人の芸人が顔を黒塗りし、黒人を滑稽な対象と表現し、黒人差別を生んだとされる「ミンストレル・ショー」がある(昨年2017年の大晦日で日本でも話題になった、ダウンタウンの浜ちゃんの黒塗りメイク批判然り)。黒人文化を他民族が表現することに関しては非常に敏感になっているというのは事実としてあるようだ。今回のブルーノに対する攻撃は、些か当てつけな気もするが、彼女の被害妄想が誇大化されているのではなく、アメリカの歴史がそういう思想を形成させたのだ。
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ブルーノ・マーズの生い立ちとは?
父親はニューヨークからハワイに移住したプエルトリコ系アメリカ人、母親はフィリピンから幼児期にハワイに移住している。その間の子がブルーノ・マーズである。彼の人種は何かと問われると、非常に難しいが、非黒人であろうとも彼も有色人種で、マイノリティであることは確かだ。ただ、そもそも音楽や表現を語る上で人種問題に発展するのも感心しなく、大事なのはアーティスト個人であり音楽であり、人種の分類なんてどうでもいい。ブルーノがハワイをルーツにしていることは確かで、それ以上の詮索は必要ない。
母親はフラ・ダンサー、父親はドラム奏者と芸能一家に生まれ、ブルーノ少年は5歳の時には既に、ハワイのナイトクラブで1日5~6ステージをこなしハワイ中に人気を馳せるほど、芸達者ぶりを見せていたという。1992年にはサラ・ジェシカ・パーカー主演のラブ・コメディ映画にも出演するほどの評判だった。その後、ブルーノは高校卒業と同時にカリフォルニアへと渡り、黒人ミュージシャンの作曲やプロデュースの“裏方稼業”で活躍することになるが、もとは表舞台で活躍してきた人間である。自ずと自己顕示欲が湧き出て、今の成功に結びつく。
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黒人が独自の文化を非黒人に搾取された歴史的事実
黒人音楽の過剰な被害意識は、女子学生特有の感情とも言い切れない。もともと、黒人は差別により経済システムから蚊帳の外に追いやられていた。黒人が音楽を生み出しても、白人アーティストがそれを模倣し、白人が経営するレーベルから公に出て、産業化する。黒人はレコード契約でも不利な内容のものを結ばされ、報酬面でも優遇されないという歴史的事実。1950年代に、チャック・ベリーを筆頭にして生まれたロックンロールであるが、これを白人社会に広め、ロックンロールの王様とまで呼ばれたのは白人のエルヴィス・プレスリーであるように。これは、HIPHOPのエミネムにも同じことが言える。エミネムが頭角を現した時の賛否は、今回の比では無いレベルに大きなものであった。
他人種による黒人音楽は文化盗用になるのか?
では、プレスリーやエミネムは今回のブルーノと同様に文化盗用なのか? いや、違うと思う。黒人が音楽的な観点でも劣勢に追い遣られているのは今も昔も同様であるが、音楽のジャンルを人種間で括ってしまうのは非常に馬鹿げている。黒人が搾取され、差別された歴史から、ましてや白人警官による暴力が多発するなど、心理的な重圧があることは承知の上だが、非黒人アーテイストを責めるのは違う。彼らは、言い方が悪いが、客寄せパンダに徹しているからだ。その覚悟など十分に承知の上であろう。それでも、他人種による黒人音楽の演奏は「リスペクト」から来る意識に他ならないからだ。
ブルーノが売れる前には「なぜ黒人音楽をやるのか?」「スペイン音楽をやればいいじゃないか?」などと言われ、悩んでいた時期もあったという。それでも、自分の生い立ちや音楽的な思想から、黒人音楽をやる必然性を控えめに答えてきた。気の毒でならない。むしろ、彼は80年代の黒人音楽を再び30年の時を経て、ビルボードのチャートに多数ランクインさせ、現代に蘇らせ、拡散した功績者と評すべきではないか。彼が、本名であるスペイン姓「ヘルナンデス」を使わないのも、こうした人種による音楽的区別から解放されたいという意識の表れだと思う。
いよいよ来日が迫るブルーノである。2010年代の黒人音楽の最大の継承者として、彼がどんなパフォーマンスを見せてくれるのか期待がかかる。
参考:wezz-y.com/archives/53198
(文・ROCKinNET.com編集部)
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