日本中が驚きと落胆に溢れた。安室奈美恵の芸能界引退の報は事件となり、国民の関心を引きつけた。最後のアルバム「Finally」も200万枚を突破。2007年以来、過去10年間で、発売初週ミリオンを達成したのは、世界を見渡しても、アデル、テイラー・スイフト、レディ・ガガと安室奈美恵しかいない。正に時代に選ばれ続けた歌姫だった。自身最多80万人を動員した引退ドーム・ツアーはプラチナ化。その様子を収録したDVDは映像作品としては日本初の100万枚突破の記録を打ち出した。私は、引退ツアーの最終日前の東京ドームでの公演を観た。彼女のライヴを観るのはそれが初では無かったが、40歳にして、そのプロポーションの良さ、終始、歌い踊り続けても息ひとつ切れない驚異のスタミナには圧倒された。引退公演が終わったのが6月上旬、その後に催された、衣装などを飾った展示会には50万人を超える人が訪れたという。反面、報道も過熱。安室本人から「控えて欲しい」というコメントが出されるほどだった。彼女の一挙手一投足に世間が注目し続けた。
思えば、安室奈美恵は常に平成の日本を動かしてきた。ジェンダー格差は色濃くあるが、以前に比べ、平成という時代が「女性飛躍」の時代という側面があると定義すれば、安室奈美恵の存在は欠かせない。阪神大震災、地下鉄サリン事件、リーマンショックと、災害・人災に揺れた平成の日本。男性が自信を無くした際に、女性は独自のカルチャーを生み出していった。安室のファッションを真似た「アムラー」と呼ばれる女子高生が渋谷に溢れたように。ファッション、生き様など、女性が自身で生きる道を選択する時代、ぶれない安室奈美恵こそ、その象徴的存在だった。人気絶頂期の結婚という選択にも表れているが、何にも媚びずに我が道を歩む安室の姿こそ、女性の指針であった。
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90年代後半にキャリアの絶頂期を迎えた安室奈美恵が、再び、女性の憧れとして平成生まれの新世代の女性たちから絶大な人気を得て、10年代にも時代を築く偉業を成し遂げていた最中の突然の引退宣言。約一年前だった。いずれ来ると分かっていた引退の日が遂に来た。引退前日に出演した沖縄フェスの様子も公には出さない。那覇市には多くのファンが詰めかけ、アムラーの聖地である渋谷には「25年間の感謝を意図する」巨大なポスターが飾られた。また、「アムロス」というワードが話題になっている。敬老の日含む九月の連休が安室一色になり、最後の最後まで社会現象を巻き起こした。特段、パブリックな場でコメントも出さず、山口百恵のようにマイクをステージに置くようなパフォーマンスもしない。彼女らしい物静かな幕引きである。引き際に美学があるとすれば、安室奈美恵は正しく最も美しい形で身を引いたと言える。昭和の偉大な歌姫といえば、美空ひばり、山口百恵が挙げられるとすれば、平成は文句無しに安室奈美恵の時代だった。
2018年現在、幼い子たちが成長した頃「安室奈美恵なんて知らない」なんて言う時代がくるだろう。その時、我々は口を揃えて言うだろう。「最後まで、歌手として、ダンサーとして徹底してかっこ良く、最後まで美しかった女性がいた」と。その頃には、安室奈美恵に憧れて歌手になったという少女が、彼女のように女性の憧れのカリスマとなって、また新しい時代を作っていて欲しい。安室奈美恵、希代の歌姫は伝説となる。安室ちゃん、本当に25年間、憧れの存在としていてくれてありがとう。さよなら。いつまでも我々の安室奈美恵でいてください。
安室奈美恵の記事はこちら
(文・ROCKinNET.com編集部)
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