先週末、スペインのマドリッドで行われたフェス「Mad Cool Festival」で、ヘッドライナーを務めたグリーン・デイ。実は、彼らの出番の直前にアクロバット集団のダンサーが高所から落ち死亡した事故が起き、そのままフェスを続行した主催者側に多くの批判が寄せられたが、案の定、人が直前に亡くなったにも関わらず、パフォーマンスをしたグリーン・デイにも批判が飛び火している。
ビリー・ジョー「俺達はそんな心のない人間ではない」
そんな中、ビリー・ジョーは、亡くなったダンサーを追悼し、遺族にお悔やみを述べ、「俺達はショウが終わるまで、事故のことを聞かされていなかった。フェスティバルというのは巨大で、自分たちの出番前に、アクロバット・パフォーマンスがあることさえ知らなかった」と弁明している。彼らは事故があったステージから800メートル離れた楽屋で待機しており、パフォーマンス開始が遅れるとの知らせはあったが、理由は告げられないまま、出番を迎えたという。こういった自己弁護は、特に日本に於いては、見苦しいものだと思われがちだが、ビリー・ジョーが何故あえてこのように渾身丁寧に説明したのかは、続けて綴られている、「俺達はそんな心のない人間ではない」と批判に抵抗する意図のメッセージが言いたかっただろう。俺達を勘違いするなという強い決心めいたものを感じる。
最終責任は主催者側である
今回の問題だが何も難しい問題ではないと個人的には思っている。不慮の事故とは言え、フェスでは起こってはならない惨事が起きた時に、イベント主催サイドがどう判断し、それに賛同できるかできないかだ。誰の責任なのか等、悪者探しをするものではないが、最終的な責任は主催者側になってしまう。それがオーガナイザーの立場であるのだから。賛同できないのなら帰る、参加しないという意思表示もあろうが、ここで思うのは、故人への追悼の意のあるなしと、フェスに参加し続けるとは別問題ということ。
何よりも主催者が事故のことをグリーン・デイに隠したことも問題かもしれない。それで、彼らが「そんな状態でパフォーマンスなんかできない」と言えばそれまでだし、仕方のないことだが、主催者がひと言状況説明をしていれば、ビリー・ジョーのことである、きっちりと事故と故人への追悼の言葉はステージ上で発したのではないか? あくまで想定の話にしかならないが、出演者への報告義務を怠った、たったそれだけのミスで批判が拡大し、結果、罪の無いグリーン・デイにも被害が及んでいるようにも見える。戦争放棄を高らかに歌いあげ、00年代にロック界に確実な爪痕を残した彼らが、愛と平和を歌ってきた彼らが、批判の的になるというのも皮肉である。何かを対象に吊るし上げ、皆で徹底的に叩くというのは世界共通の、ネット時代の特徴なのだろうか。
(文・ROCKinNET.com編集部 よっしー)
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