90年代原宿系ミュージシャンとして人気だったコーネリアスこと小山田圭吾が過去に雑誌のインタビューで、虐め告白をしたことを巡って様々な議論が巻き起こっている。騒動は、五輪組織委員会、官房長官など政治の世界にも波及、英国誌では差別問題として大々的に報道されるまでに至っている。
我々、音楽通の中では有名なエピソードである。もちろん、個人的には当時(高校生くらい)から違和感を抱いていた。あまりに内容が陰湿で残酷であること、何よりもその事実が見過ごされて彼が評価され活躍している状況に戸惑っていた。しかし、因果応報って本当にあるものだ、まさか、こういう形で表沙汰になるとは想像もしなかった。
まず、相手が障害者であるという点。内容が人糞を食わせるとか、バックドロップするなど暴力行為とか、自慰行為を強要するとか、マットでぐるぐる巻きにする、段ボールに入れて突き落とす等、虐めの範疇を超えた惨い行為であること。それを、反省としてでは無く、まるで「武勇伝」のように語っていることが許せなかった。被害者は知的障害を持っているから、刃向かうことが出来ず、自分で頭を壁に打ち付けることを笑って振り返る無反省さ。では、今(インタビュー当時)虐めの被害者に会っても、「未だに、馬鹿にしてしまうかもね」と信じがたい言葉を平気で発する異常さに言葉がない。この頃、既に彼は27歳、立派な大人であるにも関わらずだ。掲載した雑誌も共犯だと思うし、謝罪して然るべきだとは思うが。(ロッキング・オン・ジャパン編集長の山崎洋一郎氏は謝罪文を出している、クイックジャパンは未だ確認出来ていない)
作者と作品は切り分けて考えるべきという考え方もあるが、東京五輪という世界に日本のカルチャーを発信する場の音楽を担当するとなると話は違ってこよう。清廉潔白な人間などいない。集団でネットリンチも正しいとも思えない。けど、多くの人の倫理観や正義感とは異なる行動を謝罪もせずに30年間も放置してのうのうと生きてきた人間を「過去のことだから仕方ない」と疑問視しない世論の方が恐ろしくないか? 今までは活躍の場が、サブカル界隈なら表立たなかっただろうから、謝罪もしなかったろう。それが問題なのだ。この件も既に27年前の記事である。今回のように表立たなかったら謝罪もされることなく見過ごされていたのかと思うと、その無責任さに唖然とする。被害者はどんな人生を送ったと思うのか。
小山田圭吾の最大の問題点は、いじめ告白後に何も埋め合わせをしていないのだ。清原和博が薬物撲滅の公演に務めるように、彼の場合は逮捕起訴されてないにせよ、被害者がいる以上は、障害者との向き合い方とか、いじめ防止の啓蒙活動とか、することや時間は十分にあったはずだ。要は、これほどの騒動にならないと、謝罪も言えないだけの人間性。そこが問題なのだ!
今回は著名人で公になる場があったから(時間は掛りすぎたけど)当人が反省の意を述べるに至ったが、こういった異常な虐めが隠されてしまう方が多い。虐め行為は、悪質であり、場合により事件性を兼ねれば、これだけ世間の批判を喰らうんだということを示さなければ何の教訓にもならない。五輪が絡んでいるどうのは、正直どうでもいい。このような行為そのものは認められない社会である提示はすべきだ。コーネリアスは、今年のフジロックにも出る。今後も音楽で活躍していくだろう。しかし、もはや同時に被害者への謝罪や、そのような虐め防止に努める責務は、今後ずっと彼には科されたと思っている。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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