突然の活動終了に驚き通り越して無心・・・
NICO Touches the Wallsが活動終了を発表した。
何の前振りも無い突然の発表に驚きを通り越して無心になってしまった。惜しむ間もなく終止符が打たれてしまった。
オフィシャルサイトに掲載されたコメントには“15年という時間、そして作り上げてきた作品たちは、僕らにとって何にも代え難い宝物です。”と感謝を綴りつつも、“さあ。「壁」はなくなった!一度きりの人生、どこまでも行くよ!”と今後の活動をにおわすコメントもされている。
バンドが呪縛になる魔のキャリア十数年問題
気になるのは、この最後の「壁」という表現である。十数年で解散するバンドマンたちは度々、バンドを呪縛のように表現する場合がある。椿屋四重奏もそうだった。表面上では順風満帆に活動をしてるように見える中堅バンドが陥った突然の解散劇はナゼ起こったのかを考えずにいられない。だってショックだからさ。
NICO飛躍の15年はフェス文化の大衆迎合と重なる
思い返せば、NICOのデビュー時は華々しいものだった。光村(Vo)がサザンに影響を受けたからか無二なヴォーカル力を有しながらも(2009年の「SWEET LOVE SHOWER」で桑田佳祐と共演した際のみっちゃんの嬉しそうな姿は忘れられない)、類稀なるメロディメイク・センスと各メンバーの演奏力の高さ、しかも、ルックスにも恵まれ、人気は鰻上りであった。デビュー・アルバム『Who are you?』の衝撃は未だに忘れられない。
同作リリース直後(3か月も経過してない頃)のCOUNTDOWN JAPAN08/09では2番目に大きいギャラクシー・ステージを人が埋め尽くしていた。その光景にロック・シーンの未来が垣間見えた気がした。事実、その頃からフェスは多様な音楽と客層を受け入れながら、大衆文化へと様変わりしていった。ギターロックが持て囃されていた骨太なシーンから、泥臭いバンドが影を潜め始めたと同時に、NICOようなポップ・ロックがメイン・ストリームを占めることになる。まさに、NICOが歩んだ15年はフェス文化の大衆迎合の時期だった。その時期にNICOは見事にハマったと思う。
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楽曲力・演奏力が高いがゆえに絶頂期の先が見え辛く
しかし、一定の人気を得てからNICOは伸び悩んだとも思える。とは言え、先でも言った通り演奏力が高く、アレンジ力や楽曲の見せ方に長けているバンドだ。音楽に対する貪欲性と、試行錯誤を繰り返し、多様なアウトプットで新曲のたびに驚かされた。楽曲の質の隙のなさは15年間一貫されていた。その多様性もディスコグラフィが何よりもの証明であろう。また、ステージ上でも、毎回、目を見張る凄みを感じていたが(特に2015年のROCK IN JAPANが記憶に残っているが)いつどこで観ようとも絶対にハズレが無いパフォーマンスは、逆に言えば悪い意味で安定してしまっていたとも言えるのかも知れない。聴衆がNICOの楽曲の凄みに麻痺した、贅沢な不幸状態に陥っていたと言える。
偉大な先輩と飛躍する後輩・・・NICOの中間管理職感
また、同期の飛躍も無関係ではない気がする。ワンオク、RADWIMPS、[Champagne](当時)など、ワンマンをアリーナに規模を広げるバンドも多い。一方で、andymori、チャットモンチー、毛皮のマリーなど解散をする同世代バンドが多いことも事実としてある。それが影響してるとは思えないが、ちょうどそういう時期だったのかも知れない。また、KANA-BOONやKEYTALK、ヤバT、マイヘア等、後進も追いつけ追い越せと迫ってくる。かといって、エルレ、アジカン、ホルモン、くるり、横山健、ストレイテナーと偉大な先輩たちは衰えを知らない。
NICOは様々な世代に挟まれた中間管理職のような辛い時期だったのかも知れない。
他のバンドと比較して決して劣っている訳でもないが、そのストイックさがゆえにバンドとしてやれることはやってしまった感、これ以降の飛躍の見え辛さがあったのではないか。NICOとして最高潮の高みに到達してしまったがゆえにバンドを終了させるという苦渋の決断に至ったように感じる。
近い将来、新しい彼らが見れる日を心から望む
発表はあっさりしたものだったが、メンバーは凄く悩んでいたに違いない。そう思うと、寂しさが勝ってきてしまうのだが、なんせ才能のあるメンバーである。新しいバンドや形態で、必ずや我々の目の前に戻ってきてくれることを願わずにはいられない。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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