人間活動と称した休止期間を経て再びシーンに戻ってきては衰え知らずなハイクオリティな楽曲と歌声で我々を改めて感動の渦に巻き込んだ。
彼女が出て来たばかりの時は日本中が驚愕した。ど正当なR&Bが大衆音楽として認知されていない90年代末。彼女は日本音楽界を刷新しながら彗星の如く現れた。まるで洋楽を聴いてるかのような錯覚を覚えた。男女の恋愛において、彼女の楽曲内で、女性が男性を「キミ」と呼んだ。時同じくして、社会的にも男尊女卑色濃い日本で、彼女のヒット曲が街中で溢れるように流れるにつれ男女の均等化が進んでいった。
そんな彼女が再び誰かを「あなた」と呼称しながら戻ってきた。男性だけに限ったことではない。愛する人、我が子、想い馳せる存在すべてを指していよう。ここに、宇多田ヒカルの変貌を観た。終わりのない苦しみをも甘受し《旅を続けよう》と諭す、彼女の包容力の強靭さを目の当たりにし圧倒された。子供を授かって戻ってきた彼女には聖母のような包容力が備わっていた。オーラにも歌声にも。
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2万人以上が集まった、さいたまスーパーアリーナが静まり返る中、ライヴは始まった。異様な光景だった。まるで戯曲でも始まるかのような緊張感に包まれる中、舞台の中央から黒いドレスに身を纏った宇多田ヒカルが現れる。パラパラと響いた拍手が歓声に変わった。
12年ぶりの全国ツアーである。思えば12年前の彼女はどこか背伸びをしていたように見えた。宇多田ヒカルは決してキャピキャピした人柄ではない。が、「盛り上がっていこう!」と声高らかに跳ねていた彼女は本来の彼女じゃなく、派手さが優先されるJ-POPコンサートの定型に無理やり合わせていたような感じがした。それを思うと、この日の彼女の姿は妙にしっくり来た。楽曲と歌を聞かせるスタンス。それこそ宇多田ヒカル本来の姿への変貌に間違いなかった。
何よりも宇多田は等身大の言葉しか発しない「またツアーやるので来て下さいね。けど、(子供が)小学校がない時になるか、どうしよう」そんなことまで言う。拍子抜けな内容なのに、そこが逆に彼女らしくて好感が持てる。中盤で、ピースの又吉直樹とのコント映像を披露した直後に、名曲「花束を君に」を歌い上げるように、ライヴ本編には決して軽薄さが無い。この相反する空気感の混在というシュールな感じが宇多田ヒカルの魅力なのだと再確認する。
個人的に宇多田ヒカルといったらこの曲なんです!
イントロからの高揚感よ!#宇多田ヒカル pic.twitter.com/PY30hcLxx2— ROCKinNET.com (@ROCKinNETcom) 2018年12月4日
「travelling」「COLORS」「Prisoner Of Love」「光」「SAKURAドロップス」
00年代日本を彩ってきた代表曲を惜しみなく連発する、挑発的な選曲にアドレナリンが放出する。「Automatic」や「First Love」に関しては20年前の曲と聞いて時の流れにため息が出るも、どんなに古い曲でも、12年のブランクがあろうとも、きっと新しい自分を見せたいに違わなくても、きちんとセットリストに組み込む、ある種の懐古主義をも見せる宿命と覚悟に脱帽する。
活動休止前に発表した「Goodbye Happiness」で幕を閉じたのも印象的だった。
(文・ROCKinNET.com編集部)
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